第477章引っ越しは、驚くほどあっさりと片付いた。吉祥寺の家に対して、私たちの荷物が少なすぎた。
手伝いに来てくれた金子事務所の人々も、遅めの昼食を平らげると、早々に引き上げた。
一人残った金子弁護士も、どこか手持無沙汰な感じで、広々としたリビングに収まった、小さなラブソファーに座っていた。
「どこか奇妙な感じですね……」金子がつぶやいた。
「えぇ、変ですね……」私も呟いた。
「全部収めて判ったことだけど、私たちって、よっぽど物持ちじゃなかったみたいね。家の中がスカスカな感じだもの……」有紀も、落ち着かない顔で呟いた。
「引っ越しをするところまでは考えたけど、私たちの持ち物と、この家とのマッチングは考えも及ばなかったけど、こんなにも寂寞としたものになるなんて、……ね」私は、評論家のように、その時点の印象を口にした。
「いや~、僕の配慮不足と云うか、設計者とのコミュニケーション不足というか、此処の部分に、まったく気が回っていませんでしたよ」金子は、自分の責任であるように恐縮した物言いをした。
「いえ、それは、私が気づくべき問題だったと思います。
でも仮に、気づいたとしても、多分、出来なかったと思います。
色々と片づけることも多かったし、この家に見合っていて、私たちが好むものって、それは、この家に住んでみてから判ることで、棲まない内から、決断なんか出来なかったでしょうから、同じことです」
私は、金子の責任ではないと断念することと、私たちが、これからすべきことを纏めた。
「そうね、そう云うことなんだよね」有紀が同調した。
「狭い空間で、如何に住むか、そればかり考えていた私たちにとっては、これは難敵かもね」私は素直に、寂寞としたリビングを眺め、この家に見合う感覚を身につけるまでは、相当の時間が必要だと痛感していた。
「日本人には、広い空間を愉しむより、狭い空間を愉しむ知恵の方が発達しているから、たしかに難敵かもしれませんね」金子にしては珍しく、答えが見えないと素直に認めていた。
「まあ、あれよね。緊急に住むのに困っているわけでもなさそうだし、気長に、腰据えて、一個一個家具を買い足していくのも行くのも、愉しみの一つと思えば良いんじゃないのかな」
そんな話を済ませると、金子も帰って行った。
「しかしさ、思った以上に広いね。迷子になりそうだよ」有紀が、幾分、乾き気味のかんぴょう巻きを摘まみながら、諦め顔で肩をすぼませた。
「そうね、インテリアデザイナーに頼むよりも、棲みやすさを、自分たちで探して行こうよ。
だいたいが、こんな広いリビング、落ち着かないから、先ずは、ダイニングキッチンをリビングにするってどうかな?
そこから、徐々に私たちの陣地を増やして、いずれは、征服者になってやる。そんな気分で取り掛かる方が、落ち着いて考えられるんじゃないのかな?」
「その手、悪くないね。小さなスペースに、ギシギシ詰め込んで、その慣れた環境から、仕切り直しが、一番短距離になるかも」
そんな風に意見が一致した二人は、ダイニングキッチンに、パラパラと置かれた、ソファーやテレビを運び込んだ。
逆に、ダイニングテーブルをリビングに運び出し、一旦落ち着いてみた。
「取りあえず、此処までで、今夜はやめにしない?」有紀が、ダイニングの雰囲気に落ち着いたのか、違うことを思い出したようだった。
「なにか、仕事があったの?」
「そうなの、次の演目のシナリオが出来上がらなくてさ、皆をやきもきさせているからね」
「有紀の劇団のシナリオ?」
「そういうこと。だから、今夜は高円寺の家で、少し書こうかと思って……」
私も疲れ気味だったので、その後、各部屋の消灯や戸締りの確認に小一時間を費やしたが、無事、警報機を作動させて、吉祥寺の家を出た。
つづく
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