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終着駅378


第378章

有紀から“まもなく着く”とメールが入った。検査結果の話で、長くなりそうだったが、高坂尚子の情報を当面伏せておくには、都合が良かった。

どうして、尚子の件を有紀に話さないでおこうと思ったのか、自分でも、これといった理由はなかった。ただ、話が複雑にならない方が、いまは良いと思った程度だ。

有紀が、大きな袋を三つも抱えて、部屋に入ってきた。

「どうしたのよ、そんなに荷物抱えて」

「なんかね、赤ちゃんのことを思いながら、アマゾン覗いている内に、色々買ってしまったのよ。要るものか要らないものかの区別もせずにね。いままで、そういう気持ちで買い物したことがないからね、脚本家としては、それがどういう気持ちになるか、どう云うものが必要なのか、そういう経験を踏んで起きたくてさ」

有紀は、袋の中から、次々とアマゾンから購入した品々を取り出しては、ワンポイントアドバイスをつけ加えた。

「なんだか、有紀の方が、子供産むみたいだね」私は、そんなことを言いながらも、物珍しく、それらの品々を一つ一つ手に取った。

「姉さんは、産まれてくる子供の心配の前に、産まれてくるかの心配があるし、痛みはどの位だろうかと思うだろうし、まして、抗がん剤治療に対しても気持ちの整理とかさ、目一杯、手一杯だと思ったからね……」

有紀が購入してきた品々はリビング全体に広げられていた。フローリングに座り込んで、その一つ一つの品を手に取ってみた。

「姉さん、お風呂は?」

「あぁ、お湯を張ったままだったよ。ぬるくなってると思うから、温め直して」

「わかった。段々温かくなるのって、幸せだから、入りながら沸かすよ」有紀は、買い求めてきた赤ちゃんグッズへの興味を失ったのか、見向きもせずに、バスルームに消えた。

私自身、買って来てくれた商品を一つ一つ手に取ってみるものの、その商品が、どの位の大きさになった時使えるものなのか、見当もつかなかった。有紀も私も、赤ちゃんと云うものに無縁だった。

本来なら、圭が生まれた時点で、二人の姉妹は、赤ちゃんに触れる機会があったのだが、母の産後の体調がすぐれずに、1年近く、母の実家にいたので、二人は赤ちゃん未経験者だった。

私は、どこか遠いところで、自分が子供を産むという事をみつめているように感じた。まるで、有紀と二人で、赤ちゃんゴッコをしている自分に呆れていた。

あれほど、自然分娩にこだわった女なのだから、当然、分娩した後に、育児と云う大仕事が横たわっていることへの気持ちも、考えも及んでいないことに気がついた。

ただ、育児から、教育、しつけ等々を、この私がすると云うリアリティな感覚は、まったくなかった。

無論、それどころではない、差し迫った問題に対応しなければならないのだから、そう云うことは後回しでも、構わないと理解はしていた。しかし、子供を産み育てると云う覚悟があるのか、と聞かれれば、かなり怪しいかもしれないと答えるのが正直だった。

映子さんが言うところによれば、誰か、子育ての相棒を見つけるのが、一番ベターな方法らしい。自分の母親が、最もベストだとも言っていた。その時、うちの母親には預けられないと心で思ったが、映子には“そうね”と答えていた記憶がある。

この2週間のあいだに、この事も考えるべきだった。しかし、考えるといっても、基礎知識からないわけだから、実際は考えるまえに知識だけでも得ておかないといけない。

私はベビー用品を手に、そんな感慨に耽っていると、バスルームから、有紀が大きな声で、私を呼んでいた。
つづく

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終着駅377


第377章

『そうですか、奥さんの主張が取り入れられたのですね。まあ、ドクターたちが、やってみましょうと云うのですから、リスクは少ないのでしょう』

『えぇ、最後の最後には、帝王切開を選択しますと宣言されていますけど……』

『おそらく、そのドクターは自信があるんですよ。ただ、万が一には、母体を守ることを優先するよってことでしょう。赤ちゃんも充分育つ大きさになっていますしね。ただ、それからでも、病気の方の治療は大丈夫なのでしょうね』

『ええ、初期段階で発見されていますか、時間的な余裕はかなりあるようです。早いにこしたことはないでしょうけど……』

『わかりました。いずれにしても命あっての物種ですから、くれぐれも無理をなさらないでください。
吉祥寺の家の解体の件は、白紙委任状のような形になるかもしれませんが、それで良ければ、こちらですべて実行しても構いません。
印鑑証明も必要ですが、それも、奥さんの委任状があれば、こちらで手配できますから。ただ、実印を捺す作業だけは、奥さんが直接した方が良いと思いますので、常に身近な所に置いておいてください。
長期の入院に入る時は、実印はバックにでも入れて、大切に入れておいて貰えると助かります。多分、総合病院だと貸金庫みたいなものも、あるかもしれませんね』

『白紙委任しても必要ですか?』

『一連の業務の流れは、概ね把握できますが、こういう手続きは、意外に抜けが出たり、解体時のアクシデントも結構ありますからね』

『家を壊すって、簡単じゃないんですね』

『そう、意外に面倒なものですよ。予定では、更地にしておくことになりますけど、後々、あそこに家を建てるつもりと云うことで進めておきます。
それから、更地期間が長くなると、固定資産税とかは、かなり高額になるかもしれませんので、念のため。
それとですね、依頼されていた遺言状も出来ていますので、委任状とかのことも含めて、今週中に例のファミレスでお会いした方が良いと思います。来週には、入院の可能性もあるわけでしょうから……』

『そうですよね。こうやってノンビリ電話をしていると、実感が湧かなくなるんですけど、言われてみると、私って、実は忙しいんですね、フフフ……』

私は思わず笑ってしまった。そう、考えてみたら、吉祥寺の家を解体する以上、竹村家の整理整頓は必要だった。

『そうそう、吉祥寺の家の解体は問題ないと思いますが、家の中に残っているもの、あちらの整理はなさっていないでしょうね?』

『あぁ、私もその件、いま考えていたんです。
以前、金子さんに言われていたので、行ってみたんですけど、これは容易なことじゃないと気づいてしまって、それっきり、こんな事態になっちゃっています。
ただその時、考えたのですけど、竹村家の長い歴史の品々を、私の適当な選択で捨てるのは、気が進まなかったのです。それで、ゴミやガラクタ以外は、一旦、トランクルームに納めて、追々に取捨選択する、そう云う風に思ったのを、いま、思い出していました』

『なるほど、それは良い手ですね。わかりました、トランクルームは僕の方で手配しておきますよ。それで、トランクルームに入れるものの選択ですけど、奥さんにしておいて貰う。そういう段取りで良さそうです。ただ、それでも、手間は掛かりますね。入院前に可能でしょうか?』

『そうですね、正直、あまり見通しが立たないんですよ。やっとことのない仕事ですから……。でも、入院までには二週間くらいの余裕は間違いなくありますから、トランクルームに入れておきたい物に、赤いシールを貼るくらいなら出来るかなと……』

『そうか、貴女だけでは無理そうだな。わかりました、奥さんが行ける日に、こちらの事務員を手伝いに行かせますよ。佐藤か宗像のどちらか、手の空いている方をね。どちらも、奥さんとは顔見知りですから、役に立ちますよ』

こうして、吉祥寺の竹村の家の解体に関する話は終わった。

資産を持つと云うことは、想像以上に大変だった。

私は、その多くを弁護士に依頼出来るわけだけど、それが出来ない時は、自分で作業を行うのだから、容易なことではなかった。

これからも、多くの知らない雑用が増えていくに違いなかった。

出産、病気の治療、会社のこと、子供が無事に生まれれば、その子の育児と子育て、家を建てること。きっと、そのような想像できる以上に多くの社会的雑用が増えていくと云うことだった。

私は、自分は充分に大人だと思いこんでいたが、どうも半人前になったばかりなのだと実感した。

そして、出産と治療と云う難関を通過しても、人生の免許が貰えるわけではないと、幾分、途方に暮れた。
つづく

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終着駅376


第376章

結局、お義父さんから得た情報は、高坂尚子への警戒心を強めることには役立った。しかし、尚子の私への嫌がらせは、覚せい剤であるとか、裏動画のような裏の職業と関係しているとは思えなかった。

高坂尚子の情報が増えたのは事実だが、尚子が私に向かって起こしているストーカー的な行動の原因が判ったわけではない。

逆に、尚子には、暴力に訴える可能性があることを暗示しているだけで、逆恨みの質が、より悪質性を帯びていると云うことを知らせるだけだった。

お義父さんの情報は、私にとって役立たずだったとも言える。

無論、お義父さんに罪はないわけで、文句も言えない。私は、力なく首を振り、何なんだこれは、と思ったが、出てくるのはため息だけだった。

この情報を有紀に話しても、混乱に拍車が掛かるだけで、ことが良い方向に向かうとも思えなかった。黙っていた方が得策だった。

しかし、金子弁護士には、情報を流しておく必要があった。

謂れのない意味不明な内容証明郵便を送りつけてきたことへの対応も、彼に任せていた。それに、出来ることなら、私が入院加療中に、吉祥寺の家を消し去っておいて貰いたい気持ちもあった。

なんら根拠はないのだが、あの竹村の家が呪われているように感じてしまったのだから、跡形もなく消して貰うのが一番だった。

しかし、と思った。

いま、私が、根拠もなく、吉祥寺のあの家が悪いと思ったと云う心模様は、高坂尚子の逆恨みに一脈通じていることに気づいた。

そうか。人間って、根拠もなく、相手に罪がないのは判っていても、その相手を怨むことで気が晴れる。そういうことを、私自身が実践していた。

単に、私の場合は、逆恨みしたのが家であり、尚子は人間である私に向かった。ただそれだけの違いなのかと、愕然としてしまった。

私は金子弁護士の携帯を鳴らした。金子は、まだ事務所にいるので、こちらから折り返し電話をすると云うことだった。

バスタブを簡単に洗って、お湯を張る準備を終わらせたときに、金子から電話が入った。

私は、かい摘んで話したつもりだったが、十五分近く、一人で一方的に話した。金子は、時々、なるほどとか、ほう!とか相槌を打っていた。

そして、私が一通りの説明を終わらせると、話し出した。

『推測ですが、お話を聞く限り、竹村氏のお父さんと高坂尚子の間に、何かがあったのでしょうね。それを竹村氏も知っていたが、誰にも話さなかった。ただ、その男女関係のようなものですが、当時、竹村さんの家にはお母さんも居たわけですから、高坂尚子の側が、一方的に有利なわけではないわけです。刑法に触れている状況でもないでしょうから、単なる不倫に過ぎません。当然、男の側が何らかの金銭的代償を支払った。或いは支払い続けたとしても、私的な約束事と云うことです』

『つまり、不倫とかによる損害賠償のようなものですね』

『まあ、そのようになったのでしょうね。ただ、その賠償が、お手伝いさんとして、高坂尚子を雇い続けると云う約束だったかもしれません。あまり法的拘束力があるとは思えませんが、ただ、その息子の竹村氏も、お父さんと高坂尚子との約束を守った。ただそれだけですよ。破棄しようと思えば、いつでも破棄できたでしょう。ただ、そうはしなかった……』

『それで、残された命のことを考えて、思い切って、彼女を解雇した……』

『まあ、もう充分だと云う判断もあったと思いますよ。これで腐れ縁も区切りがつくとね』

『ただ、それでは大いに不満があった……』

『そのように思うのは、彼女の考えは勝手ですけど、その後の一連の行動は、場合によれば刑事問題です。ですから、竹村さんのお父さんの弱みが、どのようなものであっても、奥さんにまでトバッチリが飛んでくる事を容認は出来ませんよ。ですから、我々は、彼女の心模様の歴史的経緯と無関係な立場だと云うことです』

『考えても、意味がない?』

「意味がないとは言いませんけど、考える必要はゼロですよ。現に、我々は事実を何ひとつ知らないのですからね」

『そうですよね。私には関係のない話だと思って良いわけですね?』

『ええ、そうです。ただ、高坂尚子の逮捕された犯罪の内容と、亡くなった夫が暴力団の幹部だったと云う件は、注意の度合いを上げました。ただ、その情報によると、逮捕された罪状はかなりのものです。最低でも5年、場合によれば10年以上の懲役が科せられるはずです。ですから、高坂尚子が刑務所から指示でも出さない限り、何かを実行することは無理です。現実に、何らかの支持を出すにしても、嫌がらせの支持につき合うヤクザはいませんよ。たいした金になるわけでもありませんからね』

『執行猶予がつくなんてことはありませんか?』

『ありませんね。お話によれば、覚せい剤を使用したと云うレベルではなく、輸入して販売していたわけですから。麻薬特例法違反(業としての譲渡)か覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などの罪ですから、執行猶予はあり得ません。初犯であっても、営利目的を業としていたでしょうから。しかも組織的にね。その組織が、暴力団絡みとなれば、一層、重くなるでしょう』

そこで、高坂尚子の件は取りあえず終わった。

これから、無謀とも思える出産を控え、その上、白血病治療を受けようとしているのだから、5年、10年先まで、高坂尚子は刑務所の中、それで充分だった。
つづく

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終着駅375


第375章

そうだ、お義父さんに、その後の高坂尚子に関する情報を確認しなければ。

その情報によっては、当面、彼女のことで、生活を乱される怖れはなくなるのだから、一時的な封印が可能だった。

無論、尚子のような人が、罰を受けたからといって、すべてを水に流して、悔い改めるなどと云うことは断じてない。こちら側がすっかり忘れた頃に、牙をむくことは、想定しておく必要があった。

しかし、一時的にでも、安全という事実は有りがたかった。

『そうでしたか、それはご心配ですね。でも、最近は完治する病気のようですから、万全の治療を受けられれば大丈夫ですよ』お義父さんは、一瞬言葉を探していたが、いつもの如才のない言葉を口にした。

『ありがとうございます。私も、そのつもりで、前向きに治療を受けようと思っています。仕事の方も半年の休職にして貰えたので、心置きなく治療に専念出来ます。お義父さんにまでご心配いただいて、申し訳ない思っています』

『なにを他人行儀な。私たちには不幸が重なりましたけど、いわば家族のようなもんですよ、共通の敵もいますからね、ちょっとした同士ですよ、ハハハ。そうそう、その後の話をしていませんでしたね・・・・・・』

そんな挨拶の後、お義父さんから、延々と高坂尚子の件について話を聞かされた。

運よく、携帯の電池切れの音が、お義父さん側にも聞こえたらしく、”いやぁ、長々と話してしまいまいました”と云う挨拶で電話は切れた。

私は、お義父さんから、高坂尚子の裏の顔を聞かされて、心臓が飛び出しそうだった。今でも、その動揺は続いていた。

高坂尚子は三十一歳の時、当時、関東で銀座を中心に勢力を維持していた暴力団組織T会の幹部だった男と結婚していた。そして、尚貴が生まれた。

その事実だけで、充分に驚くわけだが、その男と結婚した後も、竹村の家のお手伝いさんは継続していたようだ。現実的に考えれば、身重でお手伝いという仕事が出来るとは思えない。

増して、産後の時期や育児の期間も、竹村家でお手伝いを継続していたと云うことは、考えにくかった。

その辺の経緯は謎らしいが、竹村がそのような事実をまったく知らなかったと云うのは、変だった。

おそらく、竹村は、その事情は知っていた可能性の方が高い。何らかの弱みでもない限り、尚子に対しての竹村家の対応は奇怪過ぎた。

どんな弱みがあったのだろうか?高坂尚子が、ホスピスまで押しかけて、竹村を罵倒した一件は知っていたが、その事件は、すべて尚子の妄想にかられた上の出来事と考えていたが、違うのかもしれない。

もしかすると、高坂尚子の言い分に、真実が含まれていた可能性はありそうだった。

しかし、竹村家の人間がこの世からいなくなった今となっては、知りようもなかった。

仮に、方法があるとしても、それを知ることで、私の立場がどうなると云うものではない。好奇心はあるけれど、竹村の家の恥を暴くようなものだった。

竹村のお父さんと尚子の間に、ただならぬ関係があったことは想像できたが、すべて過去のことだった。

そして、竹村自身には関係ないことでもあった。尚子と云う人は、一つの怨念を継続的に、間接的な人間にまで波及させる厄介な性格の持ち主なのだ。

怨念のスリークッションでもあるまし、父から息子に、そしてその嫁にと、同一の怨念を相続させようとしていた。

高坂尚子の怨念の件は、やはり彼女が狂っている事を証明していた。相手は狂人なのだから、今まで同様の注意深さも必要だった。

それよりも、暴力団幹部の嫁となり、尚貴をもうけたにもかかわらず、お手伝いと云う仕事を続けていた。それだけでも充分に不可思議だったが、暴力団幹部だった夫の死後、その暴力団とのつき合いを断絶していない点も不思議だった。

今回、高坂尚子が逮捕された覚せい剤の保持は、その製造又は密輸販売にまで捜査範囲が拡大しているのも、夫だった男の仕事に一枚噛んでいたことで派生的に起きた事件のようだ。

高坂尚子は、竹村家のお手伝いさんと云う誠実そうに見える表の顔と、覚せい剤の密輸販売では、重要なルートを司る人物と云う裏の顔を持っていたことになる。

こうなると、尚貴の裏動画の製造販売も、尚子の関与が確実視された。そのような稼ぎがあったからこそ、三鷹のそれなりの場所に、一棟のマンション所有者になれたのだろう。

いままで、老年に達しつつある女の妄執に過ぎないと、軽い判断に傾いていたわけだが、高坂尚子の執拗さには裏がある。

そう思うべきだと思った。しかし、私のどこが狙われているのか、狙いは何なのか、それが判らないのだから、警戒するにも限界があった。
つづく

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終着駅374


第374章

翌日、産科の検査で病院中を回らされたが、運動不足かなと思っていたところなので、特に不満はなかった。

午後三時には、検査のすべてが終了した。検査入院は今日で終わりだから、速攻で荷物をまとめて帰る準備をしているところに、櫻井先生が顔を見せた。

「明日にならないと、最終的検査結果は判りませんが、まず間違いなく実行できると思いますよ。実行の日取りの問題もありますので、週に一回、出来れば診察に訪れていただきたいところなんですが、それは厳しいでしょうから、週一のペースで、僕に電話をしていただけますか。その時々の状況を把握しておきたいわけです。出来たら、体温と血圧をご自分で測っておいて貰えると助かるんですけど……」

私は、櫻井先生が、自分の研究に役立つ治験と云うことだけではない、親身さに、思わず聞いてしまった。

「櫻井先生って、患者さんには、いつもこんなに親切なのですか?」

かなり、無礼な質問だったが、凄く気になる部分だったので、今後のことも踏まえて、質問をぶつけた。

「あぁ、それはですね。たしかに、変に親切に感じるかもしれませんね。
実は、僕のところにも、村井先生のところにも、院長から直々、竹村さんの件には、全力を上げ、且つ親身になって対応するようにってお達しがあったんですよ。
それがキッカケなんですけどね、村井先生も僕も、世代が近いせいか、知らない内に親近感を持ちだしていた面もあると思います。院長のお達しだけじゃないと云うことです。
ただ、キッカケは、そう云うことです。それに、村井先生の場合、お父上の患者さんだったわけですから、余計に張り切りますよ。
まあ、僕の場合は、自分の研究ににおいても、レアに挑戦できるチャンスでもあるわけです。ですから、竹村さんが恐縮する必要はないわけです。以上、親身になる理由です!」

櫻井先生は半分、小学生が教師に答えるように、直立で、その辺の事情を簡潔に話した。

私は、そんな櫻井先生の態度がユーモラス過ぎたので、ついつい笑いを堪えきれず、笑いながら、次の質問を繰り出した。

「院長先生が、どうして私のこと知っていたのでしょうか?」

「いや、そこまでは知りません。まさか、院長に、どうしてですか?って聞くわけには行きませんから……」

「私が、院長に直接聞かないと、判らないんですね?」

「まあ、そうなりますけど、まさか、竹村さん、院長に聞きに行く積りじゃないですよね?」

櫻井先生は心配そうに尋ねてきた。

「大丈夫ですよ。忖度の精神はありますから」私は、そう答えて、安心しなさいと云う目で肯いた。

櫻井先生の顔が紅潮していた。驚くほど可愛い安堵の笑顔だった。

この先生、いや、この男が、私の出産を担当するのか。この男の手が、私の中に入ってくるのだろうか。

直に対面している男に、近々、私のすべてが見られてしまう。一般的には思いもしない感情に襲われ、いくぶん性的ニオイが漂った。無論、櫻井先生までニオイが届くことはなかった。

私は、取りあえず退院した。

次の本格的入院まで、1カ月弱あるはずだった。この期間を、どのように過ごすべきか考えた。

一カ月間だけ仕事に復帰しても、いかにも中途半端だった。かといって、神楽坂のマンションで、お腹を撫でながら過ごすと云うのも楽しそうではない。

私は久しぶりで、ファミレスSで“バローロ”のボトルワインを堪能していた。そして、今まで、無為に過ごす1か月近い時間を持った事があったかどうか、遠く思い起こした。

記憶にある範囲では、未経験な無為な時間だった。無為な時間が無駄かどうかも、経験していないのだから判らない。

妊娠の事実がなければ、お洒落に行き当たりばったりの国内旅行も良いのだろう。しかし、最悪タクシーで帰れる範囲の旅行に限定されそうだから、旅と云える程の事も出来ない。

読みたかったけど、大作過ぎてページを捲ったこともない本を読むのも悪くはないのだけど、無為に過ごしていることにはならない。普段生活している以上に頭を使うことになる。

観たけれど、もう一度観たい映画。題名は知っているけど、見損なった映画を片っ端から観賞する。この計画は、少しだけ魅力的だった。

DVDなら中座しても、続きが観られるし、出産と病気で失われる時間を出来る限りケアしておく事柄に一定の見通しを立てておく行動も可能だった。
つづく

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終着駅373


第373章

村井先生は、前置きもなく、がん細胞が確認されたので、急性骨髄性白血病と診断を下した。特に衝撃はなかった。“そうでしょうね”くらいのものだった。

「あの、急性の白血病は抗がん剤で8割近い患者が完全寛解すると聞いたのですが、残りの2割の人はどうなるのですか?」私は、素朴に質問した。

「少なくとも、僕が手掛けた抗がん剤投与で、完全寛解しなかった患者さんはゼロです。
殆ど、ワン・クールの投与で、ほぼがん細胞を撲滅しています。ほぼと言ったのは、1兆個の癌細胞が10億個になるってだけですけどね。これを完全寛解と言います。
完全と云う言葉は、僕は不適切だと思っていますけど、現時点では、そう言います。億単位になると、癌細胞自体による悪さはしなくなるのですが、以前体内には残っていますから、目覚めることもある。そう云うものです。」

「つまり、完全寛解を治癒と言わないのは、そう云うことですか?」

「そうです。僕の予定では、竹村さんの化学療法、抗がん剤投与は6週から7週に亘って実施する積りです。少々長めに取ったのは、出産による身体の回復度を考慮に入れています。その後、完全寛解を確認した後、約1か月程度の地固め療法を行います」

「足し算すると入院は3カ月になりますね?」

「いや、竹村さんの場合、癌治療の前に出産と云う一大事業をこなすわけですか、開始時期は、出産後の回復度合いを充分に観察する必要があるわけです。この辺のことは、櫻井先生に答えていただくことにします」

「村井先生の仰る通り、普通の出産でも、母体には様々なダメージがあります。まして、今回の場合、妊娠30週で1600グラム。一週間後に出産の処置に出るとして、31週で1700グラムです。
出産による母体へのダメージは、赤ちゃんが小さいから楽そうに思われるでしょうが、分娩促進剤を多めに投与するでしょうから、様々なダメージが母体に出てくる可能性は一般よりも数段多いと予想しています。
ですから、出産後1か月は、最低回復期間にしたいわけです」

「あいだを1か月も開けるんですか?」その期間に、特に不満や不安があったわけではないが、思わず質問が口をついた。

「不幸中の幸いですが、竹村さんの場合、非常に早期に病気が見つかっています。ステージ1の初期段階に近いわけです。
つまり、僕の方が治療に入るタイミングには、かなりの余裕があると云うことです。
竹村さんが、妊娠していた事が、早期発見に繋がったわけです。ですから、櫻井先生のお墨付きが出るのを待つ余裕があると云うことです」村井先生が話を継いだ。

「お腹の子が、私の白血病を見つけてくれた、そんな感じですね」私は、しみじみ、そう思った。

「そうだと思います。でなければ、貴女の症状だったら、貧血だろう、鉄分を補充しようか程度の話になっていた可能性がありますからね」村井先生が、私の幸運にお父上の、たしかな診断があったとは言わなかった。

言わなかったが、それは事実だし、その担当医であった村井医師の息子さんが、骨髄性関連の専門医であった幸運にまで巡り合えたのだから、運命的だった。

「本当ですね。お腹の赤ちゃんが幸運の守り神だったってことですね」私は、思わずお腹に手が伸びた。

「明日、出産に充分かどうかの、検査をしなければ確実なことは言えませんけど、現時点では、前向きに自然分娩の方向で院内の調整はしています。
正直なことを白状しておくと、竹村さんのケースは、緊急避難的な処置なわけです。白血病の症状が表れない段階で癌が発見されたので、幾分時間的余裕があります。
つまり、お腹の赤ちゃんを、もう少し育てる時間的余裕があるわけでして、そこも幸運でした。
本来、順調に成長している胎児を二か月程度早めに医学的に出産させてしまう通常の医療ではありません。
現実に、そのような希望があっても、一般的には医学倫理上も許されることではありません。つまりは、レアケースな千載一遇のチャンスなのは、僕自身の研究にも寄与してくれます。
多くは語れないのですが、“とつきとうか”と云う妊娠出産の概念を改革していくと云う、あまり考えられない発想と云うか研究に寄与してくれるわけです。
そう云う意味で、僕が、竹村さんの早期分娩に協力する姿勢は、単に、貴女の要望に応えているわけではなく、自分の野心的な改革にもマッチングしているわけです。つまり、治験のケースに当て嵌まります。
そう云う事ですので、竹村さんのためであると同時に、僕自身の為でもあるわけです。
なにが言いたいのか、話していて判らなくなりましたが、ですから、僕は貴女のため、僕のため、全力を尽くす。そう云うことが言いたかったのです……」

櫻井先生の告白タイムが漸く終わった。村井先生は、余計なこと言わなくても、と云う表情を浮かべていたが、私は、櫻井先生の純真で、それでいて野心的な研究者としての姿勢に好感を持った。
つづく

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終着駅372


第372章

持ち込んだ文庫を開いてみたが、次々と展開するエンタテイメントに欠けたその小説は、数ページ私の持ち時間を費やすだけだった。

考えておきたいことは山積みの筈なのに、何一つ、頭の中で具体的な形にならなかった。

高坂尚子に関する問題も、今では遠い関わりに過ぎない。何らかの問題が再燃する可能性はあるのだろうが、急性白血病よりも、怖い問題とは思えなかった。

今となっては、尚子の嫌がらせなど可愛いもので、なぜあんなにも悩んだのか、不思議に思えた。

おそらく、それまでの自分の人生に中に、理不尽な事柄があまりにも少なかったのだろう。

免疫力のなさが、過剰に反応したに過ぎないのだ。昔の人が、“若いときの苦労は買ってでもせよ”とか、“艱難汝を玉にす”と云う譬えに、人が生きていくための知恵の蓄積を感じた。

最初から最後まで、順風満帆も悪くはないが、叩かれて生き抜く人生も悪くはないのだろう。急性の骨髄性白血病に襲われたことは悲劇だろうが、その艱難に出遭うことで、悩まされた高坂尚子の亡霊が、私の不安の中から消えたのだから、大きな理不尽が、小さな理不尽を吹き飛ばしてしまう経験をしていた。

勿論、艱難だったと言えるために、急性骨髄性白血病が治癒しないことには、洒落にもならないのだから、村井先生に頑張って貰いたいところだ。

しかし、抗がん剤による完全寛解(かんぜんかんかい)は、9割その患者の体質に依ることも充分に知っていた。

治らないことを前提に物事を考えるのは、金子弁護士との打ち合わせだけで充分だった。それに、抗がん剤で完全寛解(治癒)しない時は、死に直面するのだろうが、そんな絶望的なことは、絶望に直面してから考えても、遅いと云うことはない。ジ・エンドの為に、私のいまの時間を浪費するのは、愚かにもほどがある、私は、自分に激しく言い聞かせた。

映子と父から立て続けにメールが入ってきた。

映子からのメールは、懸案だったⅯ商事とⅯ自動車のプレゼンの是非が判った、と云うメールだった。Ⅿ商事は採用されたが、Ⅿ自動車はライバル企業に負けたと云う報告だった。そして、検査は順調ですかと一文が添えられていた。

私は、新規参入のわが社が、Ⅿ系の総本山に採用されたことは、大いに評価できる。Ⅿ商事の企画の詳細を詰めて、より効果の出るものに、Ⅿ商事の人達との擦り合わせに全力を尽くして、映子さんなら大丈夫だけど、張り切りすぎて体調壊さないでねと打ち込み、検査の方は順調に推移しているけど、骨髄抜かれるのは、表現できない苦痛だったと、メールを送った。
 
 父のメールは長文だった。

『 今頃は、ベッドの上だろうか。
現時点では、何も決定的ではないのだろうから、こちらも、待ちの姿勢でいます。
約束通り、母さんには黙っています。
都合がいいと云うのかな、いま、我々の住むマンションの候補が絞られ、二か所のマンションのどちらを選ぶかで、母さんの頭は超満員だから、あまり、家族がどうなっているか、気の回る暇はなさそうなのが救いだね。
今回は、検査の入院だから、一旦退院の上で、次のステップを踏むのだろうが、その時点で、一度、会うか電話で話がしたいね。
それから、私なりに調べてみたのだが、7カ月なら、強制的に出産させることは可能な感じだね。多分、それが、今回の治療過程の第一ステージなのだろう。
つまり、涼が出産する、そう云うことだ。
そこまで考えて気づいたのだが、その時、家族の誰一人立ち会っていないと云うのは、お父さんとして、辛いんだね。まして、それを知っていて、母さんに秘密にしているわけだから。
そこで提案なのだが、その出産をする日は、事前に分るのだろうから、有紀に立ち会ってもらうのが、賢明かと考えた。
まだ、有紀には言ってないが、承知してくれると思う。無事産まれるにしても、何かが起きるにしても、その時点で、母さんに話しを通す必要があると思うから。
返事は急ぎませんが、考えた上で、君の考えを知らせてください 』

読みながら、なるほどなと思った。

7カ月になるか、8カ月まで待つか、それは判らないけど、いずれにしても出来るだけ早く出産を済ませる。

その結果が、どちらであるか、それは判らないけど、私の身体の方に異変が起きない保証はないわけだから、その顛末を、家族全員が知らないと云うのは、問題があり過ぎた。

非常に身近な家族関係があったにも関わらず、そのような事が起きることは、父としては、避けたいに違いない。これからの、家族との長いつき合いを考えても、意図的に家族の中に孤島を作るようなものだった。

父の提案するように、有紀に、当日は状況を知って貰うために、出産の立ち合いは不要だが、病室で待機して貰うのは、大人としての準備だろうし、有紀が近くにいてくれることは、私自身、心強かった。

早速、有紀に、その辺の事をメールし終えた時、軽いノックの音で、村井先生と櫻井先生が揃って入ってきた。
つづく

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終着駅371


第371章

翌朝、軽い朝食を済ませ、一時間くらい後に、看護婦が骨髄検査(骨髄穿刺)の準備をしましょうね、と入ってきた。

どこか処置室に移動するのかと思って起きあがり、身構えた。

「あぁ、ここで行いますから、ベッドでうつ伏せになって、下着を少し下げていただけますか」

骨髄を抜くのだから、お尻の付近だろうなとは思っていたので、思いっ切り下げておいた。看護婦は、そこまで下げなくても、といわんばかりに、下着の位置を修正した。

その後、おそらく消毒液だろうが、針を刺す部分をまんべんなく消毒した。その処置が終わって間もなく、村井先生が入ってきた。

「おはようございます。特に変わりはないですね」

「ハイ」私は、うつ伏せなので、くぐもった声で返事をした。

「血圧は上が125、下が75です」看護婦が答えた。

「さすが、平常心のままですね。では、麻酔を打ちますので、チクリとします」

予備知識はあったが、三か所に打たれた麻酔の針は痛かった。しかし、この程度の痛さに我慢できないようだったら、無謀ともいえる早期の経膣分娩など、口に出す資格はなくなる。

「これからの、骨髄液を抜く針を刺します。刺すのは痛くない筈ですが、液を抜くとき、違和感か、鈍痛があるかもしれませんけど、一瞬です」村井先生は、針を刺すべき部位を指先で確かめていた。

残念なことは、麻酔が効いているので、村井先生の指が冷たいのか、温かいのか、柔らかいのか分からないことだった。

こんな状況で、男の指先の感触を知ろうなどという感覚を持っているのは場違いだったが、そういうことで気を紛らわす権利が患者にあっても、特別問題はなかった。

たしかに、刺された時点では痛みはなかった。おそらく、想像だけれど、頑健な針先が、骨の中に入ろうとしている感覚はあった。感覚の中に、痛みはなかった。

「これからの液を抜きますからね。いち、に、さんで抜きます。ちょっとだけ我慢ですよ」

村井先生のバリトンがかった声が掛け声をかた。グイグイと身体の一部が抜き取られるような妙に重々しい苦痛が襲ってきたが、痛みなのかどうか、一般的感覚を表すぴったりの言葉は見当たらなかった。

「充分取れましたから、これでおしまいです」村井先生は労わるように、背中の辺りに手を置いた。

背中には感覚があったので、そのゆびは骨ばっているのに、思いのほか温かく感じられた。

「今日中に病理の方に回しておきますので、明日の婦人科との打ちあわせの時には、結果が出ていますので、総合的に診断と治療方針が決められると思いますよ」

「愉しみにお待ちします」私は、半分冗談交じりに、村井先生の方を見つめて話した。

「愉しみにと言われると辛いですけどね、竹村さんの方に、その根性があれば、こちらも力強い」

村井先生も、私の言葉を前向きに受けとめれくれたようだった。

しかし、私が愉しみにしていたのは、産科の方の方針であり、血液内科の方の判断まで愉しみというわけではなかった。

看護婦が針を刺した部分に止血の絆創膏のようなものを貼り付け、三十分くらいは、動かないようにしてくれと言い残して、私は、再び個室で一人になった。

これで今日の検査は終わりのはずなので、考えられない程、何もしないでベッドに横たわっている時間が、目の前に長々の横たわっているいた。

こういう時間を過ごしたのは、いつだったろうかと思った。

社会に出てから、こういう時間に出あった記憶はない。大学の時代にあっただろうか。あの頃も、こんなに長い時間、身を置いた記憶はない。

高校時代は受験のことしか頭になかった。中学時代なら、こういう無為な時空間を経験していたかもしれない。しかし、その記憶は、あまりにも遠い記憶で、何一つ思い出すわけではなかった。

折角、こんなに考える時間があるのに、何も考えずにいることに、正体不明の罪悪感を憶えた。

テレビをつけてみたが、到底観るにふさわしい番組がある筈もなく、すべてのチャンネルを押す云う儀式を終わらせて、テレビを切った。
つづく

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終着駅370


第370章

「明日の内に、骨髄検査などこちらの検査は終わらせます。そして、明後日、櫻井先生が胎児の状況や、分娩促進で出産が可能かどうかの検査をします。そこで、一旦検査入院は終わりますので、予定通りの退院で結構です。ただ、検査結果が判り次第、数週間以内に出産や治療の計画を速やかに実行したいのですが、その辺のご予定はいかがですか」

村井先生は、明確なスケジュールを、既に頭の中に描き切ったような口ぶりで話した。

「えぇ、昨日の内に、仕事上の問題はクリアしてありますので、最悪、このまま入院と言われても、大丈夫な状態にはしてありますけど、数日頂いた方が、都合は良いのですけど……」

私は、そのスケジュールを口にすると云うことは、条件的に分娩促進剤の投与と実行が可能だと、判断しているのですね、と聞きたい気持ちだったが、患者が先走って治療方針に口出しをするのは、得策ではないと思った。

「そうでしょうね。それに、この特別室は、余裕がある方でも、リーゾナブルじゃないでしょうから……」櫻井先生がお子さまっぽい笑顔で、冗談交じりに話した。

「そうですね。破産しちゃうかもしれません。出来れば、そのリーゾナブルなお部屋があれば……」

「そりゃそうです。空きが出るかにもよりますけど、出来るだけ一般の個室レベルで手配してみましょう」

「リーゾナブルな個室だと、大変助かります。よろしくお願いします」

「櫻井先生の方に、治療前の早期出産について、ご相談してみたしたが、詳しいことは、未だ判りませんが、可能性はあるそうです。ですから、明後日の産科の方の検査が入ったわけです。現時点では、どちらとも言えない状況だそうです。その辺は、櫻井先生から詳しくお話しますので、お聞きください」

村井先生は、櫻井先生を残して、足早に部屋を出ていった。童顔の櫻井先生は、ベッドの傍にある丸椅子に腰かけて、僅かに窓の方を見ていたが、童顔なりに真面目な顔を私の方に向けて話し始めた。

櫻井先生は、分娩促進剤で早期に出産させることは、私の場合、出産後、治療が待っていると云う事情が事情なので、試みることは出来ます。早期の分娩が、促進剤で可能かどうかは、五分五分です、と説明した。

「あの、その促進剤を打って、出かかっているけど、出てこないような場合には、どう云うことになるのですか?」

「現時点の**クリニックのカルテを参考にお話しておくと、多少母体には過酷ですが、胎児への影響は少ないと思います。まだ、可能かどうかは、明日の検査次第ですが、インターン用に書き留めたノートの一部をコピーしてありますので、ざっと目を通しておいてください。意図的な、早期の促進剤による経膣出産は稀ですので、書いていない問題も生じるかもしれません。その辺は、臨機応変に対応します。ただ、一番は母体の命であり、二番目が胎児ですから、その辺はご了解いただくことになります」

櫻井先生は、顔に似合わず、的確な返事をして、私に、患者に渡すものではなさそうな三枚のペーパーを差し出した。

村井先生も、櫻井先生も、私よりは年上のようだったが、5歳と違わない印象だった。感覚的には、同世代と云う共通の何かを持っている感じで好ましかったし、それなりの信頼が持てる話し方をしていた。

櫻井先生が、患者に、このようなペーパーを、常に渡しているとは思えなので、そうしてくれる何らかの根拠があるのだろうと思ったが、どんな根拠か、聞く必要はないと考えながら、ペーパーに目を通した。

本来、産まれる準備が出来ていない胎児を、人為的に早産させるのだから、相当のリスクが母子双方に存在するのは当然だった。

増して、経膣分娩に固執する私のような患者は、担当医にしてみれば、担当になったことは、災難のように受けとめられているのかもしれなかった。

それにしては、初対面である櫻井先生も、嫌に親切だと訝った。

村井先生が、親身になる経緯は、父親からの紹介という特殊性があるのだから、ある程度は納得出来た。しかし、櫻井先生の場合には、何らの関わりもないのだから、親切すぎるという疑問が残った。

櫻井先生は、常に、このように患者と接する人格の持ち主と云うこともある。常に、患者に納得して貰うことをモットーに、処置に当たる医師だとも言えた。

しかし、まだ会ったこともない妊婦のために、事前にここまで用意してくれるのは、やはり少し変だった。無論、異議申し立てする問題ではないのに、どこかひっかかった。

そんなことを考えながらも、私の目は文字を追いかけていた。櫻井先生のノートだと云う写しは、必ずしも医学上のメモのように、判らないカタカナや英語は見当たらなかった。素人の私にも理解出来る平易な書き方で、カッパ・ブックスを読んでいるようだった。

私は、このメモは、私という患者を特定した上で書かれたものに違いないと思ったが、だからといって、書いてあることに信頼性が欠けているとも思わなかった。

まるで私の不安がわかっている人間が、その不安に応えているように思えた。仮に、何らの情報もなく、櫻井先生が、これを書いたのであれば、彼は作家的でさえあった。

創作力があるから名医だとは限らないのだから、そのことが、私の安心をバックアップすることにはならないが、好感度を上げたのは事実だった。

そして、予期せぬ難産に遭遇して、促進剤で胎児が中途半端な状況で、子宮頚の辺りで窒息死しそうになったらどうするのだろうという疑問に、的確な回答を出していた。

最悪な場合には、最終手段として帝王切開があることを、念を押すように書いていたが、その前に、経膣出産を手助けする、あらゆる手段が、事細かに例示されていた。

いざとなったら、吸引分娩の手法を使う。それでも産まれてこない場合には、鉗子による、強制的な取り出しまで書かれていた。
つづく

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プロフィール

鮎川かりん

Author:鮎川かりん
小説家志望、28歳の女子です。現在は都内でOLしています。出来ることなら、34歳までに小説家になりたい!可能性が目茶少ないの分ってっているのですけど、挑戦してみます。もう、社内では、プチお局と呼ばれていますけど…。売れっ子作家になりたい(笑)半分冗談、半分本気です。
初めての官能小説への挑戦ですけど、頑張ってみます。是非応援よろしくお願いします。

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