上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第143章
敦美の心境を確認して、俺は落ち着きを失った。
彼女の、何も変わらないことが望みは、人間が生きていく上で、最も困難な望みだったからである。
人間が生きている以上、その人の生活、或いは、長い期間の人生に対して、前進や後退と云う現象はつきものであって、これらの影響から、人は逃れられない生き物だと知っていた。
つまり、敦美の望みは、必ず破綻すると云うことだった。
その破綻が、どう云うものなのか、現時点で想像することは困難だ。しかし、必ず“時間”というものが、彼女に破綻を告げるだろう。
ただ、彼女にとって、その望みの破綻が、必ずしも悲劇的なものであるとは限らない。より有益な破綻と云うこともある。
はっきりとしていることは、人間変わらないと云う命題は、最も難しい行為であるということだった。
そういう意味で、変らないでいることを望んでいる時空に存在する俺と云う存在は、最終的には無意味な存在だとも言えた。
俺自体は存在する。しかし、敦美と云う女にとって、俺と云う人間は、最終的に存在しなかったのと同じと云うことだ。
虚無的生き方を望む俺には、おあつらえ向きな話ではあるのだが、面と向かって考えると、かなり無力感をおぼえた。
敦美にとって、俺が刹那的存在であったと云うことは、俺にとっても、敦美は刹那的女であったと云うことにほかならない。
敦美から言わせるなら、変らぬ時空を望んでいるのだから、俺の存在も、変らぬものの一部だと主張するだろうが、俺の哲学とは相いれない考えだった。
この浮世離れした環境におかれている敦美という女が、実は平凡な女であるアンバランスが、俺の思考に狂いを与えていた。
逆に、世間ずれした環境に生きる寿美という女の方が、よほど浮世離れしているのは、皮肉だった。
「なにを考えてるの?」敦美の間延びした声が耳元から聞こえてきた。
「眠くなってた……」
「そう、じゃ寝ようか…」
「そうだね、少し寝かせて貰おうかな……」
「仕事が忙しいみたいね」
「多少ね。でも、あまり金になる仕事じゃないけどね」
「書く仕事って、そんなに儲からないの?」
「そうだね、儲けるためにする仕事じゃないかもしれないな」
「会社の方が儲かるの?」
「まぁ、書くよりは儲かるかな。ただ、ものを書くって仕事は、儲けることが第一目標じゃないから、仕方がないのかもね」
「そうなんだ。父なんかの仕事を見ている限り、仕事って、全部、お金儲けの為のものだと思っていたから……」
「商売は、だいたい儲けるためのものだから、その通りじゃないかな」
「じゃあ、貴方の仕事は違うわけ?」
「そうだね、少し違うかな」
「どんなふうに?」
答えるのが面倒だった。
俺は、敦美の問いに、答えを返さずに、一定の息づかいをした。
つづく
第142章
だんだん、敦美が退屈な女になっていくのを感じていた。
俺にとっての敦美は、クライアントであり、尻や腿を触りながら酒を飲む、良い相棒だった。
俺はそれで充分だが、敦美と云う女の人生には、何かが不足しているように思え、その不足が、ひどく脆い心の女になっているようで不安だった。
その何かを、敦美自身が見つけるのが一番だったが、放置しておけば、永遠にそれを見つける機会がないように見えた。
しかし、押しつけても意味はない。
金の心配は一切ない。特にこれと言って、健康に不安もない。心配する家族がいるわけでもない。
そういう35歳の女に不足しているものは、何なのだろう。
家族、家庭、夫、子供、恋人、お金、健康、趣味……。
家族は現在一人もいない。敦美が再婚して、子供を産めば、家族が出来るかもしれないが、現在、その兆候はゼロだ。
恋人?俺が、恋人と呼べる対象の範囲にいるかは疑問だ。どこかで、互いに、パートナーであろうとしている。そう、パートナーなのだ。
何のパートナーなのか、その辺は曖昧だが、現在の生活を維持する為に必要な電化製品のような存在かもしれない。
互いに、要求すべきものがハッキリしている。俺にとっては、必要欠くべからざるものではないが、敦美には必要だ。
ただ、ある一定の時が経てば、俺の存在が不必要になるのも決定している、そう云う関係のパートナーだった。
寿美と情交を交えた後で、敦美に会うのは苦痛だった。
しかし、今夜は会って、あの温かみのある肉厚なお尻の肉をたしかめたかった。
決して情欲的ではない何かが、敦美のお尻にあつた。
それが、どう云うものか、特に説明するつもりはないが、いま、俺たちはパートナーだよなと、確かめ合うようなものだった。
そんな俺の考えとは無関係に、ゆったりと、俺が訪問することを喜んだ。
「第三の愛人探しはどうなっているの?」
「あれから全然進展なしよ。あったら、すぐに話しているよ」
「寿美さん家族からの接触はないだろうね」
「大丈夫みたいね。今のところ、私への接触の道は絶たれたままみたいだから」
「それは良いことだけど、少し寂しいとか思わないの?」
「あいつ等と音信不通になることが?」
「いや、そう云う意味じゃなく、誰とも関係しない生活っていうのかな……」
「別に、何とも思っていないよ。週に3回は貴方に会えるし、貴方が、昔の男達の何倍も話してくれるから、寂しさもないからね」
「そう、それなら良いんだけどね。フトさ、生活が退屈なんじゃないかと思ったりしたものだからね」
「今のところ大丈夫よ。多分、プレッシャーだらけの生活が続いていたからさ、何もない生活を愉しんでいる最中なのね」
「片山との生活はプレッシャーだったのか?」
「そうね、無言の圧力が、そこいら中に散らばっているような、そんな感じだった。そんな感じの圧力のひとつが、あの人を死に追いやったようにも思えてくるしね」
「たしかに、そういう男と生活していて、君は、親の莫大な遺産を抱えていたわけだから、そういう事実の積み重ねが、君を押しつぶしていたんだろうね」
「そう、だから、あまり貴方も考えないで、私のことを、ね」
敦美の言葉に、一瞬突き放された気分になったが、その趣旨は理解できた。
敦美は、今のままの環境が良いだけで、なにも変わらないことを望んでいた。
つづく
第141章
寿美は、魔性な身体になっていた。
乾ききっていた大地が与えられた水を、いつまでも貪欲に飲み続けている大地に思えた。
なにも、精液を飲み続けているわけではないが、快感と云う水を、与えられるまま、いつまでも満腹することなく飲み続けていた。
肉体がへとへとになっているのに、膣が、子宮が、それを受けつけた。叫ぶ声が嗄れているのが判るほどだ。
階下の高飛車な女主人が耳を塞ぐほどの快感を伝えていた寿美の声がドスの利いた低音に変っていた。
男が射精の寸前に出すような声で、俺の一突き一突きに呼応して、しゃがれた声を出していた。
何度目になるのか判らないが、上になっていた寿美の身体が崩れ、布団の上に崩れ落ちた。
もう、ビールで喉を潤す気力すら薄れて、失神を味わっているようだった。
失神しているのだから、その感覚を味わうことは出来ないだろうが、おそらく、崩れ落ちる寸前の感覚は覚えているに違いなかった。
細い背中がゆっくりと、生きていることを知らせた。
汗で光る寿美の背内に指を這わせると、一瞬、快感が呼び戻されたが、つかの間の快感が、次の快感を呼び覚まし、失神が交錯した。
汗の引いた寿美の身体は冷えていた。
俺は、フェイスタオルで、寿美の身体の汗を拭いた。少し粗目のタオルが、肌を擦るたびに、寿美は快感に似た声を小さく出したが、深い快感ではなかったし、抗うこともなく、身体のすべてで、そのタオルの感触を受けつけた。
寿美の局部には、まだ余力が残っていると知らせる滑りがあった。
寿美の粘膜が、まだ許容に達していないしるしだったが、これから、夜中まで働く寿美に余力を残す気遣いがあっても良いのだと、陰茎に終わりを告げた。
寿美はそのまま一時間近く深く眠りついていた。
身支度をして、店に向かわなければならないギリギリまで、寝かせておくのが、最近のふたりの流儀だった。
寿美を起こす方法も決まっていた。
次の機会まで、快感を封じ込めておくための儀式ではないが、M字に開かせた寿美の中心に、二本の指を挿し込み、子宮頚を抑え込んだ。
ここで、動きだすことは、セックスのはじまりを伝えてしまうのだから、動かないことが必須だった。
その儀式が成功した時は、寿美は、次の機会まで、その性欲を子宮内に温存できると主張していた。
俺は、その日も、その儀式を忠実に再現し、次の機会を待つことにした。
「そういえば、片山ノートを見つけたみたいよ」
「愛人が持っていたってこと?」
「違うみたい。どこからか送られてきたようなの。あれじゃないの、片山の仕事仲間が流してきたんじゃないかって、兄は言っていたけど、差出人は不明のままみたい」
「その送られてきたものが、片山ノートの中身だって、よく判ったね」
「一時期だけど兄が、片山と一緒に動いてた時のデータに似てるからって……」
「それで、幾つかに連絡を入れてみたら、ビンゴ!ってことなのかな」
「そうそう、そのビンゴ!だったわけよ」
「だったら、敦美さんの第三の愛人探しは不要なわけだ」
「そうね、不要だけど……、しばらくは、彼女に愛人探しは継続して欲しいところね」
「どうして?」
「何だろう、少しは苦しんでいて欲しいからかな……」
俺は、寿美の考えを承諾した。理由は敢えて聞かなかった。どんな理由にせよ、寿美が、敦美をお役御免にしたくない、何かがあるのだろと、疑念を打ち消した。
つづく
第140章
敦美の、片山ノート探しは続いていた。
もう必要はないと言ってしまいたい誘惑にかられたが、飲みこんだ。
「まだ、片山さんの愛人探しをしているの?」
「全然わからないのよ」
「当の本人が死んでいるんだから、調べるのも限界あるしね。尾行と云う手段を除いて、旦那の愛人探しは、簡単じゃないからな」
「そうなのよ、こんなことになるなら、生きている間に突き留めておくべきだったわ」
「ところで、敦美は、どうして第三の愛人を探しているんだっけ?」
「片山ノートを見つけたいからだけど……」
「いやさ、どうして片山ノートを見つけなければならないんだったっけ?」
「だって、また、アイツらが、探し回っているかと思うと、気が気じゃなくてさ……」
「あれから、彼らから何か言ってきたの?」
「何もないけど、なんだか、必ず言ってきそうなんだもの……」
「そうか、それがないとは言えないけど、あれから半年近く経っているだろう。それに、アソコの誰かが、警察に呼ばれたって言ってたよね、もう動くのやめたんじゃないのかな?」
「甘いはよ。彼らは、あの商売で生きてきたのだから、販売ルートのアイツのノートは、絶対に欲しい筈だもの」
「まぁそうだけど、そんなに欲しいなら、自分達で探せばいいわけで、敦美を脅しても、知らないものは知らないんだからさ」
「そういう理屈が通じる相手なら心配しないよ。そういう相手じゃないから嫌なのよ。また、なにか仕掛けてくるんじゃないかと思うとね」
「たしかに、気分はよくないけど、彼らが危害を加える可能性はないんでしょう?」
「今までならそうだけど、切羽詰まれば、強行に出てくるかもしれない人間たちだから……」
「そうか、気味が悪いか……」
「住むところは、二回移動したから、簡単に住まいを見つけられる可能性は減ったけど、ついつい、新宿には出てしまうから……」
「池袋に出るか、渋谷に出てみたら?」
「それも何だか面倒だしね」
「やはり、新宿がいいか」
「そうね、出来るだけ出ないようにはするけどさ」
「そういえば、寿美さんには、第三の愛人の話したんだよね。その後、彼女と話はしたの?」
「ううん、あれから連絡は取っていないわ」
「そうか、ダメもとで、連絡とってみるのも手だよね。敦美が、いまだに第三の愛人探しで動いているってことを知らせておけば、敦美を揺さぶっても意味がないことが、相手に通じると思うんだけどさ」
俺は、投函した郵便物は、既に彼らに届いているに違いないと、カレンダーに目をやった。
つづく
第139章
寿美に渡すデータのことで迷っていた。
果たして、寿美の家族たちは、あの情報を覚醒剤の販売ルートとしてだけ使うかどうかだった。
家族の中に目端の利く人間がいたら、リストの中に重要な人物がいたら、販路以外の目的に使う可能性はあった。
覚醒剤の販売による利益が、どの程度になるか別にして、恐喝で、1千万とか3千万を手にする方が効率的と考えないとは限らないわけなのだから。
無論、購買者の人間に注意を払うとは限らないが、そのリストがある以上、そこに載っている人物を検索する程度の知恵はあると考えた方が良い。
寿美の家族が恐喝を犯した場合、リストが押収され、そのリストの入手先を追及される可能性はある。そのような場合、寿美の家族が、寿美の名を出すのは確実で、その先には俺がいることになる。
これは拙い。
ウッカリすると、覚醒剤販売の共犯の疑いさえかけられてしまう。
ということは、寿美に協力することは、犯罪への協力者になるのだから、共犯を疑われ、利益の授受の疑いが掛けられるのは避けられないと云うことだった。
寿美に直接、片山のデータは渡せなかった。
まさか、敦美に、その役を押しつけるのは、人間として最悪な行為になるだろう。
このままでは、寿美にデータを渡せないと云うことだった。
しかし、片山のデータを入手することが、寿美家族にとって死活問題だとすると、再び、敦美に矛先が向けられるのは確実だった。
寿美も、敦美も無関係にデータを、寿美の家族らに渡す方法はないのか。
俺は、デッドロックに立ちどまり、探偵や刑事のような顔つきで考え込んだ。
しばらくして、考える行為が無駄だったことに気づいた。単に、寿美の焼き肉屋に郵送してしまえば良いことだった。
送り主が判らないことよりも、片山ノートのデータが入手したことで、彼らは、それで充分な筈だった。
無論、そのデータが本物かどうかを疑う程度の猜疑心はあるだろうが、本物だと確認できた時点で、それらの猜疑心は簡単に払拭するに違いなかった。
ゴム手袋の中が汗で気持ち悪かったが、無事、寿美の焼肉屋宛ての封書が出来上がった。
郵便切手は、必要以上に多めに貼り付け、行方知らずの郵便物にならないよう気を配った。
新宿郵便局まで車を飛ばし、道路わきのポストに投函すれば終わりだと思った。
警察ではないのだから、監視カメラに映っていても、彼らにはチェックするすべはない筈だった。
最近の犯罪の検挙には、その多くが監視カメラによって追跡が行われている。その意味では、監視カメラのない郵便ポストが最適だったが、そこまで気を回す気分にはなれなかった。
これで無事、寿美の家族に片山のデータを入手される。彼らが、そのデータで、どんな商売をしようと、俺には関係ない。仮に、そのデータを基に恐喝を働いても、特に、俺に関係はなかった。
つづく
第138章
片山のマイクロSDカードのデータを偶然に入手した俺の妄想は膨らんだが、恐喝と云う行動に出るほど差し迫った境遇にいない俺には、どこか絵空事にも思えていた。
本来であれば、もう少し考えがまとまってから事を運びたいところだが、警察や内調が動いているとなると、彼らの先を行かなければ、意味はなかった。
先ずは、上野と兄貴の為のデータをプリントアウトした。
無論、片山がつけた印は消しておいたが、彼らも専門家なのだから、データの意味あいは、直ぐに判るだろう。
そして、そこに記されている人物の素性を知り、それなりの対応をすれば良い。その件に、俺が関与する必要はなかった。
あくまで、彼らの勝手だ。
もしかすると、上野は紙データであることに疑問を持つかもしれなかった。しかし、口には出さないだろう。情報元を大切にするからこそジャーナリストなのだから。
上野に電話を入れた。
「片山のデータの一部が見つかったよ」
「そう、紙だから、元データは別にあるに違いないけど、その一部なのはたしかだよ」
「いや、記事は書かないよ。コラムニストだけで手いっぱいだからね、君の自由にすれば良い」
「あぁ明日、“静”で午後3時ということで…、あぁそれから、この話に、俺を登場させないことだけは約束して貰うよ」
上野は、特集が組めたら、些少だが情報料を会社から出させると言ったが断った。わずかな金を貰って、渦中の人物になる危険の方が、よほど面倒だった。
兄貴には郵送を選んだ。
「ひょんなことから入手したデータだからね、使うか使わないかは、そっちで考えてよ」
「いや、警察も内調も動いているはずの事件の核心資料だからさ、貴重ではある筈だよ」
「まぁ、あくまで覚醒剤の顧客リストだから、それ自体は、売人の顧客リストに過ぎないわけだけど、その顧客の中に、重要人物が紛れている、或いは、そう言う人物の関係者が紛れていれば、それはそれなりのデータだよ」
「そう、ざっと見た限り、4,5人は著名人の息子の名前があったね」
「内調が、なぜ動くかって、それは俺には判らないけど、北朝鮮ルートなのか、それとも、政治家とかの関連があるからじゃないのかな」
「使わないよ。俺は、もう週刊誌屋は辞めたんだから、興味はないよ。ただ、たしかなデータなのは保証するよ。」
「匿名で送るからさ、その通りで処理してよ。」
「勿論、必要ないよ。謝礼など貰うために、領収書切るのはご免だからね」
兄貴あての封書も準備できた。
受け取った側は、明日から裏取りで多忙な日々が来るだろうが、その波及がどうなるかは、後々の愉しみだった。
つづく
第137章
考えれば考えるほど、厄介な代物だった。
寿美の家族に、データを渡すのは問題ない。
彼らは、覚せい剤の販路を求めているだけで、それ以上余計な思惑が入り込む余裕はないだろう。そして、事件を大きくしてくれる可能性があるのだから、上客云々のマーキングは削除したものを渡せば済むことだった。
そうか、一日もあれば、片山のベアなデータの備考欄にある、×、▽、○、◎の中から、○と◎の人物だけソートして、そいつらを、片っ端から検索して人物像を特定させることだ。
○、◎のマーキングがある人間の数は、150人程度だった。これらの人物のプロフィールを作っておけば、このデータが表面化することで、政財界にどのような変化が起きるか、ある程度の想像はつく。
俺は、久々パソコンと格闘していた。
80人近くの個人プロファイルが手元にあった。この80人は政界財界のトップレベルに君臨する人物の息子や娘で、一人当り1億円ずつ恐喝しても80億円になるような代物だった。
現実には、恐喝に乗らない人物たちもいるだろうが、半分としても40億円になるデータだった。
いや、ひとり頭、1億は多すぎる。自分の子息の犯罪に1億を出す人物は限定的だ。おそらく、人物の立ち位置で、その恐喝額は変動するに違いない。まぁ、そのあたりはゆっくり考えれば良いことだし、場合によれば、中止してもいい話だった。
しかし、寿美の家族たちが、俺がいま気づいた恐喝の道を思いつかない保証はなかった。
覚醒剤販売で、ある程度の稼ぎは生むとしても、ひとりあたり1億円の恐喝の方が断然割の良いことに気づくのは時間の問題のようにも思えてきた。
考えは、甘かったようだ。
寿美家族に渡してやるデータは、×、▽、○、◎のマーキングを外すだけでは駄目で、○、◎の人物たちを消去したデータでなければ駄目なのだと気づいた。
なんとか、渡す前に気づいてよかった。
渡してしまってから、返してくれは、話が複雑になるし、寿美の家族と顔を合わせるような事態まで招きそうだった。
そうか、検索でヒットしなかった○、◎の人物は、官界、法曹界、学界の関係者の子息と云う可能性があることに気づいた。
こうやって、俺が考えるように、上野が考えないとは限らないのだ。
週刊誌の一記者であるよりも、○、◎の中の10人から1億円ずつ脅し取って、口を拭えば、もう週刊誌の記者など、する必要はなくなるのだ。
さすがに兄までが、恐喝に手を染めるとは思えないが、上野であれば、ないとは言えなかった。少なくとも、俺でさえ思いついたのだから。
つづく
第136章
片山のオリジナルマイクロSDカードのデータは、上野の週刊誌も、兄の新聞社も、寿美の家族も、或いは警察や内調、場合によると政界財界でも欲しがるデータだと云うことを自覚していた。
情報を小出しにする考えが浮かんだ。
特に、何らかの根拠があっての考えではなかった。
単なる勘と言ってしまえばそれまでだが、すべてのデータを、関係者にバラ撒きたくないと云う意志が生まれた。
この片山のSDカードの中身を金に換えようと云う気持ちもなかったが、上野や兄に、素の情報を渡すのが躊躇われた。
上野や兄に、データの50%程度を渡すのは問題ないと考えた。最もいい方法は、二人の接点はないのだから、紙データを前後に分けて渡すのが適当だと考えた。
おそらく、そのデータに基づいて行われる調査は、週刊誌記者と新聞社の違いがあるわけで、どちらが真実に迫れるものか、たしかめたい気持ちになっていた。
寿美に、どのくらいのデータを渡すかは問題だった。警察や内調、政界財界にデータを渡す気は、まったくなかった。
寿美か……。
寿美の家族が、片山のデータを欲しがっているのは、警察や内調、政財界が隠ぺいに使おうとしているのに対して、稼ぎとして、片山の顧客を引き継ぐことが目的だった。つまり、データを公表する気は、原則ない。
寿美の家族に、片山のデータを全部渡してやることで、彼らが敦美を責め立てる材料がなくなるのは事実だった。
敦美を安全圏に置いてやるには、片山のデータを、寿美家族に渡すことに問題はなさそうだった。
渡すことで、彼らは、片山の顧客への販売に精を出すだろうから、より多くの麻薬患者を増やすことに貢献する。
特に、社会悪である麻薬の蔓延を奨励する積りはないが、深みにはまる人間が増えるほど、政財界を揺るがす問題に発展することになる点は、どこか興味深かった。
実質的に、J党の戦後政治は70年近く行われていたが、権力というものは、長ければ長いほど腐って行くもので、時折、ショック療法が必要なことがある。
特別、社会正義の為に、俺が一肌脱ぐ理由はさらさらなかったが、たまたま、そのような役回りが訪れた気分だった。
特に生活に困っているわけではない。敦美の仕事がなくても、充分に暮らせる稼ぎがあるのだから、金銭的思惑はゼロだった。
何が、俺をそんな気分にさせているのかも判らずに、俺は、自分の計画に酔っていた。
一種の愉快犯的要素が含まれているのは、薄々感じた。ただ、自分が仕掛ける情報戦で、政界や財界の人間たちを疑心暗鬼にさせて、狼狽える様をみるのは面白そうだった。
問題は、政財界の誰が餌食になるかは、現時点で判っていない。好ましい人物と排除してもいい人物の選別すらしていないわけだから、誰に被害が及ぶかも判っていなかった。
片山のデータが、ベアな状態で流出するのは危険なのではないのか。混乱は起きるが、その混乱の後、少しは政財界に新風が吹きこむものでなければ、ただの騒乱に過ぎないのだ。
つづく