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第147章
男は、警視庁捜査一課の刑事で、野々村と名乗った。
捜査一課の刑事が電話口に出たのだから、上野の死が、殺人を視野に入れた捜査体制にあることを印象づけた。
上野との関係を尋ねられたが、曖昧な答えに終始した。
無論、こちらの身分は明確にしておいたので、疑問があれば参考人として呼ばれることも覚悟した。
それにしても、迂闊だった。
つい反射的に、上野の携帯を鳴らしてしまったのだが、考えてみれば、死んだと報道された上野の携帯を鳴らしたことは、馬鹿げた行為だった。
しかし、今更後悔しても始まらなかった。
友人が、迂闊にも慌てて携帯を鳴らしてしまっても、それほど不思議なことではないと、自分を納得させた。
勿論、上野の死に俺が関係しているのなら厄介だが、直接、上野の死に関わりはないのだから、特に怖れる必要はなかった。ただ、無関係ではいられなくなった点では、俺のミスだった。
“ジャズバー静”で久しぶりに再開した関係だが、当方も、昔は週刊Sで執筆していたことも伝えたので、辻褄は合っていた。
警察が、片山の死と上野の死の接点を、どこかの時点で知ることになるのは時間の問題だったが、片山の関係者として、俺が浮上する可能性は低かった。
上野と、此処二カ月くらいの間に、頻繁に電話交換をしていたのは、上野が取材中の麻薬関連のレクチャーを頼まれた為だと言い逃れれば良いだろう。一時期、麻薬関連で特ダネを幾つか書いた実績がものを言うだろう。
俺と上野との関係を説明するのに充分な情報ではないだろうが、上野の死に、直接関係なさそうな人間に、警察がいつまでも囚われている筈もない。
ひとつだけ心配なことは、上野が誰によって殺害されたのかと云うことだった。
リストを追及する過程で、犯罪組織によって殺害されたのなら、それほど問題でははない。危険があるのは、内調絡みで殺害された場合が問題だった。
内閣情報調査室(内調)は、以前は革マルや中核の連中を追いまわしている暇人集団だったが、A内閣になってからの内調は警視庁、東京地検特捜部、CIAとの連携を強化した集団に変わっていることだった。
少なくとも、現時点の政権が、既得権益集団と親密であり良好な関係を築いていると云うことは、米国政府(CIA)とも親密なのは当然だ。
そうだ、考えてみると、上野が動いたのは、片山ノートが手掛かりなのだから、俺が無関係とは言えない。
そして、“片山ノート”の前半部は兄の新聞社に送りつけたわけだが、その後、あの情報に基づいた新聞社からの記事はなかった。
兄貴は、あのデータを、どのように扱ったのだろう。
兄の新聞社からも、麻薬関連の事件を伝える報道はなかった。
兄に確認したい衝動にかられたが、ウッカリ、上野に電話してヒヤヒヤしたことを思い出して、携帯を手放した。
「どうかしたの?」寿美がめざめた。
「いや、時間は大丈夫なの?」
「何時?」
「六時近いよ」
「そろそろ行こうかな……」寿美は気怠そうに、上体を起こした。
つづく
第146章
一週間が過ぎたが、新聞にも、週刊誌にも、覚醒剤絡みのスキャンダラスな記事は出なかった。
上野や兄に確認したい気持ちを抑えた。
聞くと云うことは、何かを問われる可能性があるわけで、無関係と決めた以上、こちらから動くべき問題ではないのだ。しかし、あれだけの情報が没になるとも思えなので、胸騒ぎがした。
そんな胸騒ぎを感じてから、また一週間が過ぎた。敦美との関係も、寿美との関係も、特に問題なく営まれていた。
特に、寿美家族には幸運が舞い込んだようで、急に家族の金回りが良くなったということだった。寿美は久々に家族から解放された勢いだろうか、一段と性欲の強い女に変貌していた。
先ほど、三度目の交合の末に昇天した寿美は、うつぶせのままの裸身を晒していたが、時折、思い出したように快感の痙攣を起こして、小さく声を上げて、再び気を失った。
俺は、そんな寿美の乱れた姿を見ながら、これ以上の快感が寿美に訪れた場合、死ぬ心配はないのだろうかと、ふと不安になったが、まだ三十代半ばの女がセックスで死ぬわけはないと、自分の不安を打ち消した。
寿美の家族は、そもそも覚醒剤を朝鮮ルートで入手する役割だったのだろうが、さばく側の片山ノートを入手したことで、入りと出の利益総取りした状態を謳歌していた。
しかし、その状態が永遠に続くことはないだろう。
どこかの時点で、そのルートが公になった時点で、彼らにも警察の手が入るのは明らかだった。
ただ、その俺の心配を、寿美に向かって話せる立場でないわけだから、ひたすら、彼らの長い幸運を祈るしかなかった。
寿美の尻の部分に浴衣を掛けて、テレビのリモコンを押した。NHKの天気予報が始まっていた。大型の台風3号が発生し、沖縄から九州方面に影響が出そうだと解説していた。
明日の天気では不確実な天気予報が多いが、台風情報だけはよく当たった。
おそらく、誰が何処から見ても台風だと判る明瞭な雲が衛星でキャッチ出来る為なのだろうが、明日の天気の精度を上げて貰う方が助かるのだが、どうも難しいようだった。
続いて、17時のニュースがはじまった。
今回のA内閣の改造人事は党人事にも及ぶものと思われると云う報道の後、トランプ大統領のロシアゲート報道が続いた。
三番目のニュースは“週刊S”の記者が事件か事故により、お台場付近の海岸で水死体で発見されたと云う報道だった。
俺は慌ててボリュームを上げた。
アナウンサーの口が、何度となく「上野さん」という名前を連呼しているようだった。
上野君が死んだ……。
死んだ。いや、殺されたと云うべきだろう。俺には、事故で、あの上野が死ぬわけがない確信があった。
どうなっているのだ……。
俺は、冷静になろうと努めた。しかし、手足が意味もなく震えた。寿美がオーガズムを迎える寸前のように、息を止めて、現実を受けとめようとした。
思わず、上野の携帯を鳴らしてみた。
咄嗟の判断だが、もし、本当に上野が死んだのであれば、電話が取られることはないと思い込んだのが間違いだった。
“はい、上野の携帯ですが、どちら様ですか”
慇懃だが、こちらを訝ったような低音の男の声が戻ってきた。
つづく
第145章
「これが片山ノートですか……」
上野は、リストを一枚一枚、入念に目を通していた。俺の方も、自分の資料の方に目を通した。
「この中の人物の中に、キーパーソンが見つかると面白いネタですけどね……」
「あぁ、そうでなければ、週刊誌ネタにはならないね」俺は、資料を読み終えて、追加の珈琲を注文した。
「饗庭さんは、意味のある人物を見つけたと云うことですか」
「見つけたと云う程ではないけど、何人か、検索するとヒットする名前は確認したよ」
「その中に、有名人とか?」
「有名人が直接出ていることはなかったと思うけど、何人かは政治家や財界人の係累ではないのかな、という人物は確認したよ。リストの欄外に赤ペンでチェックした連中は、もしかしてと云う顧客だよ」
「このリストの人物たちが、片山某のクスリの顧客たちと云うのは、たしかなんでしょうか」
「まぁ、間違いはないだろうね。クスリの元締めが欲しがっているものだろうから……」
「しかし、どうやって饗庭さんは、このリストを」
「あぁ、ある人物が入手したのだけれど、その人にとっては不要なものだからね、単純に処分を頼まれただけ。そういうことにしておこう」
「なるほど、判りました。入手先は伏せて動けと云うことですね」
「そうだね。善意も悪意もない人だから、迷惑をかけるのは本意じゃないもんでね……」
「わかりました。このチェックのある森永俊祐ってのは、森永卓造政調会長の息子じゃなかったかな……」上野は呟きながら、リストを指さした。
「その人物、知っているのか?」
「ええ、高校の同級生ですよ。アイツならやりそうだったから、リストに名があっても不思議ではありませんからね」
「仮に、君の同級生なら、勤務先も知っているのか?」
「たしか、大手広告代理店で働いている筈ですよ」
「そう、だったら、芸能人とかが含まれていても不思議はないだろう」
「財界のボンボンも含まれていそうですね。これは、たいそうな代物ですね」
「あぁ、かなり危険な代物でもあるからね、俺は、手を引くよ。ここから先、進むも退くも、会社の方針でやることだ。君ひとりで、背負い込むのは危険すぎるよ」
「そうですね、政権中枢を揺さぶりかねないわけですから、慎重に……」しかし、上野の声は上ずっていた。今、入手した情報を手放す気など、さらさらない興奮が伝わってきた。
上野が、足早に去っていった。
俺は、冷めきった珈琲を啜って、もう一杯頼むべきか、迷っていた。
つづく
第144章
ジャズバー静は、何時ものように、ゆったりとした時間が流れていた。
上野との約束の時間は午後三時だったが、店内の古時計の針は、午後二時を、すこし回った時を刻んでいた。
約束の時間を間違えた訳ではなかった。地方の新聞社から依頼されたコラムに関する資料に目を通しておきたかったからだった。
この店のオーナーだと云う“静”という名の女の姿を見たのは、10年近く通っていて、たったの一度切りだった。
まぁジャズを聞くために通っているのだから、特にオーナーの婆さんと会う必要はないのだが、どことなく釈然としなかった。
こんな客の入りで、この店の経営は成り立つのだろうか。珈琲が1000円と云うのは高いのだろうが、時間制限なく、良質のジャズ、良質の音響を提供しているのだから、決して高いとは言えなかった。
俺自身は、夜の時間に、この店に来たことはなかったが、上野の話では、夜も同一料金で、昼間と変わらない人の入り具合だと言っていた。上野曰く、多分道楽なんじゃないですか、という評価だった。
上野の評価は、当たらずと雖も遠からずだと、俺も同意していた。渡された資料に目を通しながら、思い出したように、上野に渡すリストにもう一度目を通した。
片山が付けたであろう◎×のマークがプリントされていないことを確かめ、再び、資料に目を移した。
“静”のドアの鈴が鳴り、客の来店を知らせた。足音は迷うことなく、俺の席に近づいてくるのが判った。
俺が目を向けるのと、上野の声が聞こえるのが同時だった。
「おや、早かったね」俺は、開いたままの資料を閉じようとした。
「すみません、早すぎましたか」上野が腕時計に目をやった。
「いや、チョッと資料に目を通そうと思ってね……」
「お待ちしますよ」
「いや、用件を片づけてしまおう。君は、社に戻らなければならないだろうしね……」
「すみません、幾つか案件抱えているものですから……」
「なかなか、週刊誌の仕事も大変な時期だからね、幾つもやらされるのも、時代の流れかな」
「そうですね、昔は、ひとり一件体制が、二件になり、今では三件のかけ持ちが常態化ですよ」
「身体、壊さないようにしないとね。やれるからと言って、やり続けないことだよ。適当にサボらないと身体を壊すから」
「その適当が、なかなか難しいですね。先輩たちの多くが早死にしているのを見聞きすると、何だかなって思いますよ」
「そう、会得した頃には、既に身体を蝕まれってことが多いのが、この業界の常識だよ」
「商売変えしたいところですが、もう三十超えると、そう簡単には行きませんから……」
「まぁ、言うは易くって話だね。ところで、これが例の片山ノートのリストだよ」
俺は、片山の前に、プリントアウトしたリストの束を差し出した。
つづく