上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第136章
片山のオリジナルマイクロSDカードのデータは、上野の週刊誌も、兄の新聞社も、寿美の家族も、或いは警察や内調、場合によると政界財界でも欲しがるデータだと云うことを自覚していた。
情報を小出しにする考えが浮かんだ。
特に、何らかの根拠があっての考えではなかった。
単なる勘と言ってしまえばそれまでだが、すべてのデータを、関係者にバラ撒きたくないと云う意志が生まれた。
この片山のSDカードの中身を金に換えようと云う気持ちもなかったが、上野や兄に、素の情報を渡すのが躊躇われた。
上野や兄に、データの50%程度を渡すのは問題ないと考えた。最もいい方法は、二人の接点はないのだから、紙データを前後に分けて渡すのが適当だと考えた。
おそらく、そのデータに基づいて行われる調査は、週刊誌記者と新聞社の違いがあるわけで、どちらが真実に迫れるものか、たしかめたい気持ちになっていた。
寿美に、どのくらいのデータを渡すかは問題だった。警察や内調、政界財界にデータを渡す気は、まったくなかった。
寿美か……。
寿美の家族が、片山のデータを欲しがっているのは、警察や内調、政財界が隠ぺいに使おうとしているのに対して、稼ぎとして、片山の顧客を引き継ぐことが目的だった。つまり、データを公表する気は、原則ない。
寿美の家族に、片山のデータを全部渡してやることで、彼らが敦美を責め立てる材料がなくなるのは事実だった。
敦美を安全圏に置いてやるには、片山のデータを、寿美家族に渡すことに問題はなさそうだった。
渡すことで、彼らは、片山の顧客への販売に精を出すだろうから、より多くの麻薬患者を増やすことに貢献する。
特に、社会悪である麻薬の蔓延を奨励する積りはないが、深みにはまる人間が増えるほど、政財界を揺るがす問題に発展することになる点は、どこか興味深かった。
実質的に、J党の戦後政治は70年近く行われていたが、権力というものは、長ければ長いほど腐って行くもので、時折、ショック療法が必要なことがある。
特別、社会正義の為に、俺が一肌脱ぐ理由はさらさらなかったが、たまたま、そのような役回りが訪れた気分だった。
特に生活に困っているわけではない。敦美の仕事がなくても、充分に暮らせる稼ぎがあるのだから、金銭的思惑はゼロだった。
何が、俺をそんな気分にさせているのかも判らずに、俺は、自分の計画に酔っていた。
一種の愉快犯的要素が含まれているのは、薄々感じた。ただ、自分が仕掛ける情報戦で、政界や財界の人間たちを疑心暗鬼にさせて、狼狽える様をみるのは面白そうだった。
問題は、政財界の誰が餌食になるかは、現時点で判っていない。好ましい人物と排除してもいい人物の選別すらしていないわけだから、誰に被害が及ぶかも判っていなかった。
片山のデータが、ベアな状態で流出するのは危険なのではないのか。混乱は起きるが、その混乱の後、少しは政財界に新風が吹きこむものでなければ、ただの騒乱に過ぎないのだ。
つづく