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終着駅372


第372章

持ち込んだ文庫を開いてみたが、次々と展開するエンタテイメントに欠けたその小説は、数ページ私の持ち時間を費やすだけだった。

考えておきたいことは山積みの筈なのに、何一つ、頭の中で具体的な形にならなかった。

高坂尚子に関する問題も、今では遠い関わりに過ぎない。何らかの問題が再燃する可能性はあるのだろうが、急性白血病よりも、怖い問題とは思えなかった。

今となっては、尚子の嫌がらせなど可愛いもので、なぜあんなにも悩んだのか、不思議に思えた。

おそらく、それまでの自分の人生に中に、理不尽な事柄があまりにも少なかったのだろう。

免疫力のなさが、過剰に反応したに過ぎないのだ。昔の人が、“若いときの苦労は買ってでもせよ”とか、“艱難汝を玉にす”と云う譬えに、人が生きていくための知恵の蓄積を感じた。

最初から最後まで、順風満帆も悪くはないが、叩かれて生き抜く人生も悪くはないのだろう。急性の骨髄性白血病に襲われたことは悲劇だろうが、その艱難に出遭うことで、悩まされた高坂尚子の亡霊が、私の不安の中から消えたのだから、大きな理不尽が、小さな理不尽を吹き飛ばしてしまう経験をしていた。

勿論、艱難だったと言えるために、急性骨髄性白血病が治癒しないことには、洒落にもならないのだから、村井先生に頑張って貰いたいところだ。

しかし、抗がん剤による完全寛解(かんぜんかんかい)は、9割その患者の体質に依ることも充分に知っていた。

治らないことを前提に物事を考えるのは、金子弁護士との打ち合わせだけで充分だった。それに、抗がん剤で完全寛解(治癒)しない時は、死に直面するのだろうが、そんな絶望的なことは、絶望に直面してから考えても、遅いと云うことはない。ジ・エンドの為に、私のいまの時間を浪費するのは、愚かにもほどがある、私は、自分に激しく言い聞かせた。

映子と父から立て続けにメールが入ってきた。

映子からのメールは、懸案だったⅯ商事とⅯ自動車のプレゼンの是非が判った、と云うメールだった。Ⅿ商事は採用されたが、Ⅿ自動車はライバル企業に負けたと云う報告だった。そして、検査は順調ですかと一文が添えられていた。

私は、新規参入のわが社が、Ⅿ系の総本山に採用されたことは、大いに評価できる。Ⅿ商事の企画の詳細を詰めて、より効果の出るものに、Ⅿ商事の人達との擦り合わせに全力を尽くして、映子さんなら大丈夫だけど、張り切りすぎて体調壊さないでねと打ち込み、検査の方は順調に推移しているけど、骨髄抜かれるのは、表現できない苦痛だったと、メールを送った。
 
 父のメールは長文だった。

『 今頃は、ベッドの上だろうか。
現時点では、何も決定的ではないのだろうから、こちらも、待ちの姿勢でいます。
約束通り、母さんには黙っています。
都合がいいと云うのかな、いま、我々の住むマンションの候補が絞られ、二か所のマンションのどちらを選ぶかで、母さんの頭は超満員だから、あまり、家族がどうなっているか、気の回る暇はなさそうなのが救いだね。
今回は、検査の入院だから、一旦退院の上で、次のステップを踏むのだろうが、その時点で、一度、会うか電話で話がしたいね。
それから、私なりに調べてみたのだが、7カ月なら、強制的に出産させることは可能な感じだね。多分、それが、今回の治療過程の第一ステージなのだろう。
つまり、涼が出産する、そう云うことだ。
そこまで考えて気づいたのだが、その時、家族の誰一人立ち会っていないと云うのは、お父さんとして、辛いんだね。まして、それを知っていて、母さんに秘密にしているわけだから。
そこで提案なのだが、その出産をする日は、事前に分るのだろうから、有紀に立ち会ってもらうのが、賢明かと考えた。
まだ、有紀には言ってないが、承知してくれると思う。無事産まれるにしても、何かが起きるにしても、その時点で、母さんに話しを通す必要があると思うから。
返事は急ぎませんが、考えた上で、君の考えを知らせてください 』

読みながら、なるほどなと思った。

7カ月になるか、8カ月まで待つか、それは判らないけど、いずれにしても出来るだけ早く出産を済ませる。

その結果が、どちらであるか、それは判らないけど、私の身体の方に異変が起きない保証はないわけだから、その顛末を、家族全員が知らないと云うのは、問題があり過ぎた。

非常に身近な家族関係があったにも関わらず、そのような事が起きることは、父としては、避けたいに違いない。これからの、家族との長いつき合いを考えても、意図的に家族の中に孤島を作るようなものだった。

父の提案するように、有紀に、当日は状況を知って貰うために、出産の立ち合いは不要だが、病室で待機して貰うのは、大人としての準備だろうし、有紀が近くにいてくれることは、私自身、心強かった。

早速、有紀に、その辺の事をメールし終えた時、軽いノックの音で、村井先生と櫻井先生が揃って入ってきた。
つづく

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プロフィール

鮎川かりん

Author:鮎川かりん
小説家志望、28歳の女子です。現在は都内でOLしています。出来ることなら、34歳までに小説家になりたい!可能性が目茶少ないの分ってっているのですけど、挑戦してみます。もう、社内では、プチお局と呼ばれていますけど…。売れっ子作家になりたい(笑)半分冗談、半分本気です。
初めての官能小説への挑戦ですけど、頑張ってみます。是非応援よろしくお願いします。

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