第470章憔悴した三上社長を見るのは忍びなかった。
“このたびはご愁傷さまでした”その言葉さえ、消え入るように虚しいものだった。
三上社長は、目の前にいるのが、私だと気づくと、“うん、うん”と声に出し、強く頷いた。
次々と、弔問の客の気配を背中に感じていたので、私は、強い視線を社長に送り返し、同じように頷き、次の人に、場所を譲った。
三上社長が、ウンウンと強く頷いたことの意味が、どのようなことを意味していたのか、必ずしも明確ではなかった。
単に、シッカリしてください、と云う弔問の言葉に、習慣的に応じただけかもしれない。
しかし、遠くから、次々と訪れる弔問者に対して、三上社長は、憔悴の中にあっても、それ相応の会話を交わしていた。
私の、突然の弔問は、三上社長にとって、驚きであったろうし、語ることが多すぎて、逆に、話すことを放棄した感じだった。
“うん、うん。いずれゆっくりと……”そういう気持ちで、頷いたように思えた。
映子さんが、私の姿を見つけて、静かに近づいてきた。そして、映子さんに、背中を押されるように、台所に入った。
台所は、三上家が喧騒に包まれていると云うのに、静謐と表現したくなるような空間になっていた。
小さなスツールに腰を下ろして、初めて見る、三上家の台所を見回していた。
「来ちゃったの?」映子は、お茶を淹れながら話しかけてきた。
「どうしようか迷ったんだけど、お通夜やお葬式に出られる体力じゃなさそうだから、勢いで、今夜の方がって思ったの。それにしても、急だったよね」
「そうなの。社長は、今週から、午後は自宅を第二社長室にするって、宣言したばかりだったのよ。それなのに、それから三日目だもの、きっと、かなりショックだと思うの……」
「そうなの。漸く、社長の奥さん孝行がはじまったと云うのに、皮肉だよね」
「そうなの。だから、あまり、かける言葉がなくて、私も、惚けた感じなのよ。でも、これまでも、何度か心臓発作は起こしていたから、来るべきものが来た感じなんだけど、社長がトイレから戻ってきたら、容態がおかしくなっていたらしいの……」
「でも、社長が傍にいてくれる、そう思ったから、奥さん、安心しきったのかもね」
「そう、私も、急に、生活環境変えてしまうのは、社長にも奥さんにも、良くないんじゃないのって聞いたんだけどね。そんなことは関係ないって、取り合わないものだから……」
私は、映子さんに、押しとどめられるような形で、台所に居座り、お茶入れに専念したい。
一時間ほどすると、三上家の喧騒は鎮まり、嘘のような静寂が訪れた。潮が引くと云うよりも、津波で、人々や家が流された後のような静寂だった。
そろそろ、退散する時が近づいてきた。せめて、弔問客の湯飲みくらい洗って帰ろうと、客間に顔を出した。
三上社長の姿も、映子さんの姿もなかった。
二人は、どこに行ったのか?不思議な時空間に一人残された思いだったが、洗い物があるのは幸いだった。
つづく
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