第500章そんな或る日、稽古を終えて家に戻ると、有紀の姿がなかった。
母が“ゆき”に一階の和室で、絵本を読み聞かせていた。
「おや、早かったね」
「母さん、もう”ゆき”は、寝てるみたいよ」寝込んだ”ゆき”を抱えたままの母に小声で囁いた。
「この子は、本当に手がかからない子だよ。五分もしない内に寝てくれるんだから・・・・・・」
「有紀は、どこかに出かけたの?」
「いや、夕方帰ってきて、少し熱があるからとか言ってたから、部屋にいると思うけど・・・・・・」
「そう、風邪でも引いたのかな?」
私は、無関心を装い、あっさりと受け答えした。
そして、有紀が遂に、人工授精を受けたのだろうと察した。
しかし、寝込む程の施術ではない筈なのにと思ったが、母に疑問をぶつける話題でもなかった。
何となくキッチンの椅子に座り込んで、テーブルに出されたままの煮物の大皿を見つめていた。
特にお腹は空いていなかったが、里芋を爪楊枝で口に運んだ。あいかわらず、母の煮物の腕は落ちていなかった。
大根もほどよく柔らかく、味も浸みていた。イカが、どうして、俺のことを食べないのだと抗議していた。
「特別、よけ者にしていないよ。ただ、今は大根と里芋が食べたいだけよ」私は、自分の実を反り返らせたイカ大根の烏賊に話しかけた。
そのとき、階段を降りてくる足音が聞こえた。今夜の主役のお出ましだった。
「あぁ、お帰り。稽古順調なの?」
「そうね、今のところ注文が出ていないから、順調なんだと思うよ。今回は、新人が多いので、少し心配だったけど、大丈夫みたい。有紀のシナリオにしてはドタバタが多いから、気分転換にはいいわね」
「姉さん向きじゃないかもしれないけどね・・・・・・」
「それは、それよ。私の違った側面の発見には役立つだろうから、ちゃんと演じているつもりよ。大声を出すシーンが多いから、ちょっと声が枯れているけどね」
「やっぱり、喉枯れる?」
「でも、周りは気づいていない範囲だと思うよ」
「それなら大丈夫よ。まあ、煙草は控えめにね」有紀は、ほんの少し前まで、自分が苦労していたことを、人ごとのように話していた。
「熱は下がったの?」
「あぁ、あれは方便よ。今日は、例のところに行ってきたの」
「あぁ、あそこにね。それで、体調おかしいの?」
「違う違う。落ちこぼれないように、身体を横にしておきたいって、思っただけよ」有紀は、非科学的なことを口にしたが、その気持ちは理解出来た。
「あれって、そんなに安静にしていないとイケないわけ?」
「ううん。十分もしない内に、もうお帰りになって良いですよって、あっさりと言われたよ」
「あっけなく?」
「そう、何事もない感じでね。あんなことで、私、妊娠したら、処女懐胎なんて、シナリオ書きたくなるよ。リアルな何事も起きていないのだから・・・・・・」
「感覚、ゼロなの?」
「そうね、子宮頚を、通る時ちょっとチクリとしたかな。そのあとは、何にも感じない。時間にすると二分程度でおしまいだなら、頚ガンの検査より断然痛みはないよ」
「そうかぁ、たしかにリアリティーはないね」
「ホントよ。処女なのに妊娠してびっくりする娘の心境だよ」
有紀は、リアリティーのなさを嘆いた。
私は、こんなことになるのなら、竹村モデルの“張り型”でも作っておけば良かったと思ったが、口には出さなかった。
つづく
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