第491章初舞台の日が来た。どのような情報がマスコミ各社に流れたのか知る由もなかったが、『神秘の女優誕生 滝沢ゆきの実姉・竹村りょう』そんな感じの見出しが週刊誌を賑わした。
おそらく、有紀が手を回して、前評判を盛り上げたのだろうが、なぜか、私には無関係な記事にしか思えなかった。
そんなことよりも、初舞台に上がる緊張感で、周りの景色はまったく目に入らなかった。お陰で、満員になっている客席も見えなかった。午後と夜の、二回の舞台だったが、どちらも、あっという間に過ぎていった。
上手く演じることが出来たのかどうか、私には判別不能だった。ただ、幕が閉じる時の観客の拍手だけは聞こえた。その拍手が、どのようなレベルのものか、それを判断することも出来なかった。
ただ、「アンコール、もう一度勢揃いして!」有紀の鋭い声だけが耳に残っていた。
私は、当日、吉祥寺まで帰った道のりが記憶から消えていた。
無論、ワープしたわけではないので、普通にタクシーに乗り帰宅したのだろうが、自分を取り戻したのは、ダイニングで“ゆき”を母からバトンタッチされた時だった。
「お疲れさま。大成功だったらしいじゃないの?」母の声が聞こえた。
「えっ、どうして、母さんわかるの?」
「父さんが、万雷の拍手だったぞ。俺には、どこまで行っても、娘が舞台にいるだけだったがって電話したきたのよ」
「父さん、観にきていたの?」
「そうよ。家族が行かないわけにはいかんだろうって」
「そうなんだ。でも、父さん、舞台観るなんて初めてじゃないの?」
「私も、あれって思ったけど、有紀からチケット渡されたみたいよ」
「へぇ、有紀の手回しか……」
「しかし、変れば変るものよね。あんなに無軌道な生き方をしていた有紀が、大きなエネルギーを動かしているのよね。
アンタを引き摺りだしてね。挙句に、我々まで動員されちゃっているからね。
半分は腹が立つんだけど、半分は自分の自業自得と云うかね。アンタの教育は間違っていたのよ、と諭されているみたいでね。
不思議だけど、でも、あの子を産んだのは私なんだから、どんなもんだ。そう云う風に開き直ることも出来るのよね」
母が、思いもよらぬ感慨を口にした。不詳の娘にねじ伏せられたことを、歓んでいる気配さえあった。
理屈の上からは、彼女の観念論に徹底的にさからった有紀に、嬉々として降参しているように見えた。
底知れないパワーが有紀に乗り移ったと考えるのも妥当ではなかった。
有紀が、特別に変わったと云うよりも、我々の方が変ったのかもしれない。
たしかに、私の境遇は大きく変化した。“ゆき”を産んだこと。白血病に罹患して、闘病生活を送ったこと。そして、天職だと思いこんでいた会社を辞めてしまったこと。それだけで、充分に激動だった。しかし、はじまりは、竹村から声をかけられた時なのだろう。
竹村が、命を削ってまで“ゆき”を妊娠させる努力を実行したこと。それを、望んだのは、誰あろう、私だったこと。
あの辺から、私の人生の歯車は狂い出していたのかもしれない。
その間、有紀の人生には変化がなく、彼女の目は冷静だった。悪く言えば、獲物を見つけるハンターだったのかもしれない。
私は、ほんの少し前まで、自分の裁量で、自分の周りを動かしている積りだった。現に、自分の思い通りに、物事は進んでいた筈だった。
しかし、そう、有紀の性戯に翻弄されながら、劇団の事務を引き受けてしまった時から、有紀と私の立場は逆転していた。
いや、有紀の性戯に翻弄された時点が転機になったように思えた。
夢中で、有紀の愛撫に身を任せていただけだが、有紀の劇団を手伝うと、曖昧に答えた時から、有紀と私の上下関係が逆転した。
有紀が、そのことを無自覚で行っていることも、何となく理解できた。
有紀の意志でもなく、私の意志でもない。まして、父や母の意志などが影響していることはあり得なかった。
しかし、有紀の意志力が発揮できる環境が、次々と、異なる有紀を生みだしている、恐怖?畏怖?憧れ?
或る意味で、私には想像も出来ない世界へ有紀によって誘われる(いざなわれる)のではないかと、期待と慄きが綯い交ぜになって、私を包んだ。
つづく
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