第17章
倍近い時間をかけて、私は家の玄関を開いた。
「遅いじゃないの」すかさず、奥から母の声が聞こえた。
「会社に、あれから電話したら、貴女もう帰ったって。普通なら、とうに帰って来るはずなのに、どこか買い物でもしてたの?」母の教師根性だけは、退職後も健在だった。
「友達と立ち話しをしてただけよ。急ぐんなら携帯を鳴らせば良いのに」
「私は線のない電話なんて信用出来ないの」当然のような、常識外れを時々口にする元女教師は、煮物の煮え具合をたしかめながら、背中で話していた。
「まあ嫌いなものは、仕方ないけど、会社への電話は、部下とかの関係もあるしね。だったら、メールで、電話乞うとでも送ってよ」
「わかりました。そうしますよ、これからは」
私が踵を返し階段に向かうと、母は突然追いかけてきた。
「待ちなさいよ、まだ話は終わってないわよ」
「すぐ着替えて戻るから」
「忘れないうちに話してしまわないと」
「なにを?」
「決まっているでしょう、美絵さんのことよ」
「ああ、あの話ね。そういえば、どんな話だったの」
「それがね、美絵さん、要領を得ないのよ」
「何も話さないってこと」
「そうなのよ。特に具体的に、何なにがあったからじゃないって言い出すのよ。変でしょう、何かがあったから変な筈なのに、それを言わないの」
「そう、何か話しにくい事情なのかもね」
「それって、どういう意味?」
「だから、話したくないような、具体的出来事よ」
「それって、もしかして、あっちのこと?」
「そうでしょう。そうじゃなかったら、あれこれと言うはずだからね」
「ああ、そう云うこと。だったら私は聞きたくないわ」
「聞きたくないって、母さんじゃなくても聞きたくないよ。理由は言いたくないって言うのだから、相談じゃなく、ただ、何か変わったことはありませんかって聞いただけと云うことで良いンじゃないの」私もまったく興味のない風を装った。
そこで会話に区切りがついたと思った私は、「ちょっと」と云う母の声を無視して、二階の階段を駆け上がった。きっと、追いかけてくるだろうと思ったら、案の定、母の階段を上る足音が聞こえた。そして、ノックもせずにドアをあけた。
「着替えているのに、ノックくらいしたら」私は意味のない抗議の言葉を口にしたが、母に通用するとは思っていなかった。
「美絵さんのことだけど、このまま知らんぷりで良いのかしら」
「どうかな。もっと切実になったら、圭か美絵さんが、私か有紀に相談でもするんじゃないのかな」
「それしかないのかしら」
「だって、私たちが絡んでいる話じゃなさそうでしょう。あっちの話では、第三者が顔出す隙間はないわよ」
「それはそうね。でも、聞けたら、圭に、何かあったのって聞いてみてくれる」
「わたしが?」
「だって、貴女の方が、圭、話しやすいでしょう」
「まあ、機会があったらね。まさか、美絵さんから電話あったけどって聞けないからね」
「それもそうね。兎に角、聞けたら、聞いておいてよ」母は、自分の責任らしき荷物を、私に手渡すと、そそくさと扉を閉めた。永遠に身勝手な女の母だった。
結局、私の疑問には、時間が経った割には、何も答えらしいものがなかった。
ただ、美絵さんが、義母に当たる母に、圭に何かあったのか、と聞くこと自体が子供染みていると思うし、これから圭たちが築くであろう家庭でも、このような美絵さんの稚拙な行動は尾を引きそうだと思った。悪い子ではないけど、悧巧な子ではなさそうだった。
しかし、美絵さんに疑問を抱かせた、圭の態度がどんなものだったのか、気にはなった。だからといって、圭に“美絵さんから疑惑の電話があった”と直接話すのも、話をこじらせそうな気がした。出来ることなら、圭と美絵さんには、穏便に結婚に向かって進んでほしいわけで、混乱や破局は、望ましくなかった。
勿論、私と圭の関係においても、美絵さんがいることの方が、断然安定的だと、深い根拠はないが、そのように感じていた。
もし、確認するとしたら、圭ではなく、美絵さんに確認する方が、ことは大袈裟にならない。騒ぎ出したのは、圭ではなく、美絵さんなのだから。
美絵さんの、不用意な動きを圭に知らせることは、色んな点から、好ましくない状況になる。私は、一つの区切りを見つけて、幾分落ち着いた。
つづく
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