第421章一週間は、あっという間に過ぎていった。退院しても構わないと櫻井先生の判断が出た。
今では、自分でも扱いかねるほど母乳が出るようになった。
これで、保育器の“竹村ゆき”に文句を言われる心配はなさそうだった。
看護師の話によると、胃に入れていたチューブは抜かれ、私が凍結保存している母乳を自分の力で飲むまで順調に育っていた。
退院、前日に、母乳を直接飲ませてみたが、痛いくらい吸いつく、竹村ゆきの姿に、私は、一仕事ピリオドが打たれたように、肩の荷が下りていた。
自分の身体の回復も、特に問題のある症状もないく、普通に暮らせると感じていた。
産科の検診は、十日後くらいに一度来てもらえればと云う程度の話だった。場合にっては、信濃町の方のクリニックで受けても、問題ないと云う話だった。
同じく、退院の前日に、村井先生の方の最終チェックを受けたが、癌細胞の増殖は止まっているので、3週間の体力回復モラトリアム期間は十分確保されていると確約された。
このまま、癌細胞の増殖が止まったまま、そう云うラッキーは起きないのか尋ねてみたが、残念ながら、そう云う事は絶対にないと、嬉しそうに断言された。
幾分、村井先生のことを小憎らしく思えたが、それが、患者の虚しい我がままだと云う事を、私は理解していた。
映子が数日前にお祝いに、病室を尋ねてきてくれた時、社内には次期社長が滝沢さんに違いないと云う噂で持ちきりだと云う情報がもたらされた。
人事と云うものが、このような形で決定していくことは、大いにあることだろうが、今回の噂は、フライングも甚だしいものだと思った。
映子も、私が社長の要望に何らの答えを出していないのを知っていたので、噂の発信源疑惑のある社長に、かなりきつく問い詰めたらしいのだが、社長は、流石の俺も、そこまで強引ではないと、強く否定していたそうだ。
まあ、現時点では、晴れて職場復帰できるかどうか判らない状態なので、どうでも良い話のようだったが、復帰できる頃に、その噂が消えている事を期待した。
映子も、何かにつけて、その噂を否定する材料を社内的に流して、噂の打ち消しはしてみるけど、自分自身は、それを望んでいるだけに、気持ち的には微妙な立場にいると、映子までが、その噂の虜になったような顔つきなのは不安を更に増幅した。
父と母も、揃って顔を出してくれた。父が一緒だと、母も幾分礼儀正しい女を装うので、物わかりの良い話ぶりだった。
引っ越しも無事終わり、その整理に追われているらしく、母の興味が部屋作りに向かっている事は、何とも有りがたいことだった。
そんなこんなな事があった末に、私は無事、自分の子供を保育器に残したまま、退院した。
幾分の後ろめたさを感じたが、たとえ我が子であっても、肉体は別物だし、きっと将来的には、心も別物。その辺のわきまえは、意図せずに、私の心にストンと落ちた。
ただし、こう云う心境を話せる相手は限定的だ。
世間とは、ステレオ合唱団みたいな面が多いので、不用意な発言は、これからも封印していないと、と自分に言い聞かせていた。
つづく
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