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第119章
“片山ノート”が決め手だなどと、不用意なことを言ってしまったものだ。
俺の悪い癖だが、その瞬間に閃いたことを、取りあえず、口に出してしまうことがある。ただ、その口に出した話の内容は、その後、自分の中で咀嚼するうちに、異なるものになっていることが、結構あった。
ただ、その異なった答えを、話した人間に、変更になったと伝達しない、悪い癖もあった。
しかし待てよ。“片山ノート”を欲しがっているのは、寿美の家族であり、敦美も俺も、そんなものは欲しいと思ってはいない。
そう、奴らに探させれば良いのではないか。なにも敦美が身の危険のある探索をする必要なんてないのだ。
寿美の家族のことは、敦美が知っている筈だった。
父親でも兄貴でも弟でも構わない。“片山ノート”を、片山亮介の第三の愛人が隠し持っている可能性を耳打ちすれば良い。
あとは、彼らが、どのように第三の愛人に辿りつき、その愛人に“片山ノート”の在りかを吐かせるかどうかの問題だ。拉致監禁も良いだろうし、第三の愛人の部屋で、拷問するのも、奴らの勝手だ。
しかし、第三の愛人も、“片山ノート”を持っていない可能性はあった。
その場合、いったん消えた矛先が、再び敦美に向かってくる危険があった。
敦美に何か起きることは、現時点では望ましくなかった。
積極的悪意ではないが、今となっては、敦美は美味しいクライアントなのだから、彼女の身に、何かが起きることは望ましいことではなかった。
いつから、自分がこのように金の魅惑に憑りつかれたのか、不思議だった。
ものごとを判断する基準値に金銭が、意外なほど大きな顔でのさばっていた。その顔は、正しささえ抑え込む力を持っているかのようだった。
俺は、そんな呪縛から逃れるように軽く頭を振ってみたが、何の効果もなかった。
おそらく、金銭に拘らない生きかたをしていたつもりの俺も、15億円以上の金の魔力に、大きな影響を受けていることは否めなかった。
15億円には、それ相当の魅力があると云うことなのだろう。
しかし、俺自身の内部的変化がどうであろうと、今は現実に対して、より合理的な方法を探すべきで、そのことに集中すべきだった。
自己矛盾は、のちのち考えても充分時間は残されていた。
寿美の家族が、敦美にとっての強迫者なのだから、彼らに、直接情報を提供するのは危険だった。後になって、その情報が偽物だったと言いがかりをつけてくる危険があった。
彼らの耳に、伝聞的に話が入ってくるのが好ましいだろう。
そう、そのメッセンジャーは寿美が適役だった。
問題は、寿美にどのようにして、誰が、片山亮介の第三の愛人の情報を伝え、ノートが、そこにあるかもしれないと知らせるかだった。
俺が寿美に伝える方が、敦美を、“片山ノート”から遠ざけることが出来た。
ただ、そのようなこみ入った情報を、俺が寿美の耳に入れると云うことは、敦美からみると、随分俺が、寿美とのコンタクトも親密に実行出来る関係だと疑う余地があった。
敦美は、寿美の家族が“片山ノート”を欲しがっているのを知っているのだから、その家族である寿美に、そこにあるかもしれないと云う情報を伝えるのは、自分の安全のためにも合理的だった。
しかし、高価なクライアントを失う危険がゼロではない点は気になったが、敦美を前面に立てるのは、一層危険だった。
つづく