第21章「まだ、お時間おありなの?」
女は、何かを思い出したように、尋ねてきた。
「大丈夫ですよ、お茶でも飲もうか」
「そうね、それよりも、寝そべって、ビールを飲んで、お喋りしたい気分なの、つき合ってくださる?」
女は、その状況がどのようなものか、まったく寸借なく口にした。
俺は、女が望んでいる状況が、どのようなものか理解するのに、数秒の“間”を必要とした。
「貴女も時間があるなら、俺の方は大丈夫ですよ」俺は、ようやく答えた。
なぜか、“僕”から、“俺”に一人称が変わっていた。
女の話し方から、性的なニオイは一切感じなかった。
俺は、それで良いと思った。
トンデモナイ爆弾女から、逃げ出してきたばかりなのだから、寝転ぶだけで充分だった。
「裏の方に行けば、ホテルがある筈だから……」女は躊躇うことなく歩を進めた。
女に主導権を握られているようだったが、このいっときが、女の唯一の自由だと思うと、下男や下僕の役を演じるのも、お洒落だった。
女は、幾つかのラブホテルを通過した。目当てのホテルがあるような歩き方だったが、余計なことを言わずに従った。
「ここが良いわ」女は歩みを止めた。
“旅荘市松”、小洒落た割烹のような小さな看板の前で立ちどまった。
その割烹風旅館は、入り口から玄関までの飛び石は“筏打ち”と云う特殊な敷石で目を愉しませた。
そして、丁寧に打ち水がされていた。
どこか“一見さんお断り”という言葉が浮かんだが、女は意に介せず、ずんずんと玄関に歩を進めた。
カラカラと台車の音が響く、市松模様のガラス引き戸を開けた。明治時代に時間が戻ったような気分だった。
「いらっしゃいませ」七十代後半と思われるうりざね顔の女が、応対に出てきた。
視線の強い女性だった。
「初めてですけど、宜しいかしら?」女も、“一見さんお断り”を想定していたらしく、丁重な物言いをした。
「えぇ大丈夫です。4時間単位で、前金一万円になっておりますけど、お宜しいかしら」
女は、客よりも物理的に上段から目線で、格上な雰囲気の話し方をした。
俺は幾分ムッとしたが、シャネルの女は意に介さずに、バーキンのバッグからおもむろに、朱色の財布を出し、一万円札と千円を女に渡した。
「一万円ですけど」
上から目線のうりざね女が、一枚の千円札の扱いに迷った。
「えぇ、わたくしの気持ち。おタバコ代ですけど、お受け取りになって」
シャネル女のささやかな反撃だったが、考えてみれば、彼女も客商売をやっているのだから、このような駆け引きは、手慣れているのかもしれなかった。
うりざね女は、口の中で“恐れいります”呟き、スリッパを出した。そして、二階の部屋に粛々という態度で、案内した。
つづく
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