第487章約束の時間を5分遅れで、家についた。
「スミマセン、遅れちゃって」
「遅れてなんかいませんよ。それより、舞台の方はどうでした?」
「どうなんでしょう?夢中でしたから、好かったのか、駄目なのか、良く判りませんでした。特別の注意は受けなかったですけど、お目こぼしもあると思います」
「判らなかったって、素直な感想ですよね。私も、自分で言っておきながら、馬鹿な質問してるなって、思いましたから」奈津子さんが、“ゆき”にミルクを飲ませながら、微笑んだ。
「ゆきは良い子にしていました?」
「えぇ、とってもいい子ちゃんでしたよ。私って、子供好きだから、自分の子供を含めて、随分色んな赤ちゃん扱いましたけど、ゆきちゃんは、最高に手のかからない赤ちゃんです。私、何度も居眠りしてしまいましたから……」
「たしかに、グズることの少ない子ですよね。私もそう思いますけど、何か欠陥でもあるんじゃないかって、フト、不安になるんですよ」
「そうかしら?それは杞憂だと思いますよ。だって、身体がスクスク育っていますもの。発達障害がある場合には、成長過程で、必ず、普通じゃない何か症状に現れますから、大丈夫ですよ」
そんな会話を交わして、奈津子さんは、“ゆき”を私の腕の中にバトンタッチすると、軽快に一階の駐車場に降りていった。
奈津子さんが通い保育の条件で、唯一出してきたのが、車通勤を認めることだった。その通勤用の真っ赤なポルシェ・カブリオレは、独特のエキゾーストノートを残して、どんどん遠ざかって行く姿が、音と共に見えていた。
有紀が、奈津子さんの車を見たら、自分の中古のフォルクスワーゲンを買い替えると言い出しそうだったが、有紀が奈津子さんのポルシェを目撃することは、当分なさそうだった。
“ゆき”は充分お腹が一杯らしく、すやすやと眠りに就いていた。よく、抱いていると泣かないが、ベッドに下ろした途端に火がついたように泣く赤ん坊が多いらしいが、“ゆき”にその心配は、今のところなかった。
ホッと一息ついた私は、自分が、お腹が空いているのかいないのか、自覚がなかった。
稽古中に、準備されていたオニギリを一個、コーラで流し込んだ記憶はあったが、それ以上のものを口に運んだ記憶はなかった。本来であれば、空腹を覚える筈なのに、それがなかった。
冷蔵庫を覗いてみると、賞味期限ギリギリの桃のゼリーがあったので、取りあえず口に運んだ。
ひとまず落ち着きを取り戻して、考えた。
もし、こんな生活が続くのだったら、我々は、どんな食生活を送ることになるのだろうと。
とても粗末な食事で生きるか、ケータリングに頼ることになりそうだった。
我々の栄養はどうにかなるとしても、“ゆき”の離乳食から、普通の食事を食べさせる必要が出た時は、どうするのだろう。
現状の生活で、“ゆき”に満足な食事を提供することは、不可能に近かった。
子供を産んだ母親が、普通にしていることが出来ない自分に、驚いた。
離乳食は、5,6か月目から。“ゆき”の場合、2カ月早く産まれているので、7カ月目くらいから、意識すれば良いのだろう。と云うことは、後2か月程度で、離乳食の時期が来る。
離乳食であれば、奈津子さんにお願いしても、大きな負担にはならないだろうから、何とかクリア―するだろう。
しかし、離乳食を卒業する、1歳児以降は、離乳食から、普通食へ移行させなければならなくなる筈だった。
それを、私は出来るのだろうか。母親として、しなければならない事柄の知識がゼロに等しい自分に愕然とした。
しかし、その食事まで奈津子さんに作って貰うと云うのは、無謀だった。しかし、三度三度の食事を、有紀と気ままに取る生活をしていた私にとって、かなりの難行に思えた。
“一気に15歳くらいになってくれないかな”私は、ゆきの頬を指で軽くつつきながら呟いた。
“ゆき”が、そうは行きませんと、諭すように笑顔を見せた。
つづく
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