第452章“明日の午後に骨髄検査しますから”と前日に村井先生に言われていた。
当日の午前中に、看護師がいつも以上に多くの血液を採取していったのは、なにか問題が現れたのだろうかと、不安になったが、質問する気にはなれなかった。
今では、脱力、吐き気、便秘、脱毛、不眠はあったが、高熱、下痢、食欲不振からは、かなり解放されていた。
よくは判らないが、抗がん剤への対応力が、私の肉体の中で成長したのかもしれなかった。
そして、その副作用があることが、皮肉にも、日常であると錯覚させるまでに至っていた。
“心頭滅却すれば火もまた涼し”なんて、嘘のような話もあるが、副作用が日常化することで、幾分、肉体的苦痛に親和的になっている、私が居た。
骨髄検査をされて以降、私に“痛みの世紀”が訪れたようなものだが、出産も含めて、痛みや苦痛が連続した日常は、健康だった日常の記憶を曖昧なものにした。
妊娠という出来事をきっかけに、私の“痛みの世紀”は始まったようだが、妊娠前の自分の肉体が、どのようなものであったか、いくら思い出そうとしても、その姿は朧だった。
おそらく、健康であると云うことは、何もないに等しいのかもしれない。
副交感神経とか、不随意筋に支配されている肉体。或いは、大脳が司っている肉体は、無意識の中で存在している。
だから、その記憶は曖昧なのだろう。
そう、空気を吸って生きている動物が、空気を意識していないのに似ている。
そんなことを考えながら、昼食を終え、私は、骨髄検査を受けていた。今回は、失敗したとは思わないが、二か所の髄液を採取されたので、酷く疲れた。
村井先生に、なぜ今回は、血液採取も骨髄液採取も、いつもと違うのか詰問しようと思っていたが、肉体が悲鳴を上げて、言葉は何処かに行ってしまった。
私は、そのまま眠ってしまった。気がつくと、夕食の配膳が始まっていた。
寝ている間に、幾つか夢を見た。
ストーリーはまったく覚えていなかったが、圭と美絵さんと竹村がいた。ハッキリしないが高坂尚貴もいたように記憶していた。
夢に出てきた人物が、ことごとく死んでいる人々だったのは気がかりだった。彼らが、歓迎会でも開こうとしているとも受けとめられた。
迷信とか、そう云う類をまったく信じない人間だと思い込んでいたのに、記憶もハッキリしない夢見に、惑わされている自分に腹が立った。
食欲も失せていた。
そもそも、前の数回は若い先生たちに骨髄液の採取を任せていたのに、今回は村井先生だった。
そのこと自体が異例だった。
村井先生は、何時になく真剣な表情で、骨髄液を採取していた。それも、難しい顔をして、二か所から採取する念の入れようだ。
どう考えても、尋常とは思えなかった。
しかし、村井先生は、数日後に検査の結果が出たら、またお話しましょう、と言っただけで、足早に病室を出って行った。
いつもであれば、私もフランクに「随分、念入りですけど、どうして?」と問い詰めている筈なのに、今日に関しては、私も、どこかで緊張していて、言葉を発することはなかった。
患者に不安を与えるような医療行為は、インフォームドコンセントの面からも、不適切の誹りを免れないのに、どう云う積りだろうと、幾分腹立たしかった。
おそらく、治療行為において、何らかのシビアアクシデントが起きているか、地固め治療終了の確認かの、どちらかだと思った。
ただ、説明不足な村井先生の態度の結果、私の心の中は、前者のシビアアクシデントが起きたと云う推測に傾き、希望の断絶に慄いていた。
つづく
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