第451章完全寛解した私の前に、最低3か月間の地固め治療という工程が示されていた。
当然、その間、何度かに分けて、抗がん剤投与が実施された。
地固め治療期間の抗がん剤投与は休み休みだが、その抗がん剤による副作用は継続するので、様々な副作用に休みはない。充分に寝た感覚のある時間は、2,3時間しかなかった。
脱力、吐き気、嘔吐、便秘、下痢、脱毛、貧血、食欲不振、不眠、高熱‥等、半端な苦痛は通り越し、治療であると言われても、殺される過程にいるのではないかとさえ思う日々だった。
ただ、村井先生の方針は、私の副作用は少ない方であり、体力も充分に残っているので、一気呵成に癌細胞を撲滅してしまう積りだと言った。
村井先生の言葉を耳にしながら、サド侯爵と云う名前が、自動的に生まれたが、痛めつけるだけが目的ではないし、出来るだけ早期に社会復帰させようと情熱を傾けているのは、痛いほど理解出来ていた。
幸い、他の臓器に大きな影響も出ていないので、地固め治療は強烈だが、そのかわり、3か月後を目途に、必ず退院させてやると云う御託宣を信じるしかなかった。
“退院”の目標を、5月末と設定して、村井先生は、私の骨髄の奥深く隠れている癌細胞ハンターとなって、悪玉細胞殺しに夢中だった。
それぞれの副作用には、それぞれの症状に応じた薬剤が投与されるのだが、薬効があると実感したものは、殆どなかった。
抗がん剤の副作用を抑える目的で用意されている専用の薬ではないのだから、効果が劇的であるはずはなかった。
しかし、あまりにも効き目がないので、副作用の症状に対応する薬の服用を何度か拒否したが、症状は、より鮮明なものになって、私の強きは、簡単に挫折した。
最後は、文句を言う気力もなくなっていたので、従順な患者になっていた。
CIAの秘密諜報員でも、抗がん剤治療を永遠に続けるぞと脅されれば、すべてを自白してしまうだろうと、私は、村井先生に皮肉っぽく語ったりもしたが、誰の所為でもない事は、頭の中では無論知っていた。
こうして、村井先生と私の闘いは3カ月を経過した。
正常な細胞がどこまで痛めつけられ、どのような再生能力を発揮するかも、個体の資質によるらしい。その辺の詳しいメカニズムを考える余裕はなかった。
最近では、癌細胞を撲滅する目的で治療している筈の自分が、副作用と闘うためだけに生きている。
私は、副作用自体が病気であると云う、そういう錯覚の中にいた。
既に、有紀や両親との面会は可能だった。
しかし、私は、敢えて彼らに会おうとはしなかった。
会って話したい気持ちがないと云うのは嘘だった。特に、有紀とは言葉を交わし、一瞬でも苦痛を忘れられる時間が欲しいとも思った。
しかし、その気持ちも封印した。何故か、と云うほどの根拠はなかった。なりふり構わない状態に陥っている自分を、他者に見せたくないと云う気持ちもあった。
しかし、それ以上に、他者を、このような苦痛の関係者にさせたくない気持ちが、最も強く面会拒否に影響していた。
有紀であっても、彼女の記憶の中に、私の苦痛であるにも拘らず、彼女の苦痛にまで伝播することを怖れた。
有紀と父には、その辺の心境はメールで伝えておいた。
映子さんにも知らせておいたが、社長や金子弁護士やお義父さん、田沢君のお母さんにも、連絡は取らなかった。
治療が始まる寸前に、この世からおさらばしても構わないだけの準備をしておいたのだから、それで充分だと思っていた。
つづく
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