第437章“竹村ゆき”が保育器から解放される日が決まった。明後日の金曜日に退院手続きが出来ると、櫻井先生から連絡が入った。
午前中はバタバタしているから、午後迎えに来るのがベストですよ、と但し書きがついていた。
院長先生から、特別の指示を受けていたにしても、破格の櫻井先生の配慮に感謝はしていたが、特別な感情が幾分働いているかもしれないと、私は受けとめていた。
私にも、その感情に応える、僅かな兆しはあったが、手に取って吟味出来るほど確かなものではなかった。
私は、そんな大人の世界に浸っている自分に呆れながら、“竹村ゆき”をこの部屋に迎えるにあたり、何が必要なのだろうか混乱を起こしていた。
有紀が気分次第で買って来たものはあったが、0歳時の育児用品と云う印象ではなかった。
育児用品必需品リストみたいなものがあれば良いところだが、それを今さら手に入れに行くよりも、用品を買い揃えて置くことが肝心だった。
明らかに、母親失格だと苦笑いしながら、ネットで検索してみた。多くの情報が、販売と関連しているため、微に入り細に入り、売らんかなな情報で、一覧のようなものがない。
馬鹿野郎と思いながら、オムツは絶対に必要。哺乳瓶がいるだろうか?既に授乳は経験しているので、絶対に哺乳瓶が必要とは限らないかも。それに、たつた二日で、田沢君のお母さんに、バトンタッチするのだから、オムツだけでも良さそうだった。
いや、そう言えば、赤ちゃんが裸のままでいるわけはないのだから、洋服が必要になるのだろう。あの赤ちゃんの来ているタオル地の服は、何って言っただろうか?私の頭の中は???の連続だった。
母に電話する手があるのに気づいた。そして、次に、田沢君のお母さんに電話する方が、もっと正しいことに気づいた。
そうそう、有紀から、田沢君のお母さんに、5日後には、“竹村ゆき”を連れ行く話がついていると云う事は、おそらく、彼女は、その必需品を、既に手元に置いている筈なのだ。
そうか、田沢君のお母さんから、少しだけ譲って貰えれば、それが一番楽に違いない。
私は、自分の未熟さなど気にもせず、田沢君のお母さんに電話を入れていた。
話はついた。私は、急いでタクシーに乗り込むと、田沢君の家に向かった。
田沢君のお母さんは、必需品を一式揃えて紙袋に入れて、私を待ち受けてくれていた。
“呆れた人ね”、とは言わなかったが、私の慌てぶりを微笑ましいものでも見るように、温かいまなざしを送ってくれていた。
私は、紙袋を受け取り、はじめて一息つくと、出された珈琲を口に運んだ。
「想像以上に順調にお育ちになって良かったわ」
「えぇ、でも、予定より早くなってしまったので、田沢さんの方のご予定を狂わせてしまったんじゃないのかと、ちょっと心苦しくて……」
「大丈夫よ。はじめのうちの赤ちゃんって、殊のほか手のかからないものですから。それに、母乳も飲むし、ミルクも飲む健康優良児のようだから、とても安心」
「そうだ、母乳の冷凍保存も、ギリギリまで沢山作っておかなといけないんでした。治療を開始した後の母乳は、出来たら避けた方がと言われていますから……」
「そうなんでしょうね。でも、どう見ても、お姉さんが病気に罹っているなんて、絶対に見えないのに、厭になっちゃいますね」
「自分でも、嘘じゃないのって思う時ありますけど、残念ながら逃げられないようです。でも、必ず生還して、迎えにきますので、それまで、よろしくお願いします。本来でしたら、ご主人にもご挨拶しなければならないところですけど、ざわざわしているものですから……」
それから、田沢君のお母さんと30分ほど雑談をして、私は再びタクシーに乗り込み、マンションに戻った。
つづく
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