第424章翌朝、昼過ぎに目覚めると、有紀は出かけたあとだった。今夜は夜が遅くなるので、自分の部屋に方に泊まるとひと言メモが置いてあった。
昔は、こういうメモは、日々目にしたものだが、最近では珍しいものになってきた。
携帯のデジタルなテキストとは違い、どこか温かみのあるものだと、チラシの裏に書かれた、意外に綺麗な有紀の文字を指でなぞった。
幾つかメールが入っていた。
映子からは、体力の回復具合にもよりますけど、再入院の前に、時間が取れるようなら、一度会社に顔を出して貰えると助かるのだけれどと云う趣旨の伝言があった。
有紀との旅行までの4日間は、暇と言えば暇なわけだから、会社に顔を出すつもりではいたが、出社して欲しいと云う映子からの伝言の意味が、少し気になった。
次期後継者問題と云う噂で、社内に何らかの混乱が起きているのではないか、私は幾分危惧した。たしかに、株式は社長と私で90%の株を持っているのだが、他にも株主が居ることはいた。
社長が私を後継にすると云った噂が広がることで、会社を現実に動かしている組織内から、或いは10%の株主から、異論が出ても不思議ではなかった。
社長の独裁的人事の噂が、寝た子を起した可能性もあった。思いもよらない噂で、社内が混乱するのも問題だったし、その渦中に、自分の意志に関わらず巻き込まれて行くのも、愉しい話ではなかった。
あくまで、根拠のない噂なのだが、私は、三山商事の社員でも、幹部でも、社長でもない自分を思い描いた。
たしかに、竹村の遺産を相続した結果、大株主になっただけで、300人以上の社員を擁す組織の頂点に立つ資格があるとは思えなかった。人間的軋轢を考えたら、避けて通りたい話だった。
自分の担当のプロジェクトを成功させる愉しみは知っていたが、会社を引っ張ってゆくと云う業務に、さして魅力を感じていなかった。
現に、私の目の前には、白血病と云う病が壁を作り、人生に待ったをかけているわけだし、治療が完治しても要観察な身体の持ち主になるわけで、健常な人間ではない事実もあった。社長業が、想像以上の激務であることは、映子さんから、詳細にレクチャーを受けていた。
また、“竹村ゆき”という乳飲み子の母親でもあるわけなのだから。
その為に取られる時間がどの程度のものか、想像も出来なかった。しかし、考えるまでもなく、時間的に彼女の為に費やさなければならない時間が生まれるのは当然だった。
この二つの出来事だけで、私は充分に多忙になるわけで、三山商事の社員としての仕事を両立できるのかな、と云う疑問を持つのが自然なくらいなのに、その上、次期社長候補として、組織の中に身を置くことは、あまりにも乱暴すぎると思った。
社長にも、映子にも、私の意志を充分伝える機会はなかったが、流れに任せて良い問題ではなさそうだった。
ただ、噂の段階で、その噂を根拠に“私には、その気はありません”と三山周治に宣言するのも憚られた。
つづく
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