第56章次の一手に気づくのに、俺は1時間を要した。
なんとまあ気がつかない男だと自分を罵りながら、敦美の携帯を手にした。
他人の携帯電話を手にすることは、経験がなかった。奇妙に後ろめたい心持ちだった。
しかし、事情は差し迫っていた。
敦美に、何かが起きたと思える状況なのだから、彼女の携帯を見ることは、関係者として当然のことだった。見ないことの方が、不作為を責められる状況だった。
メールの着信履歴は、俺の着信が最後のものだった。警察ドラマ風に考えると、最も怪しまれる人間は、俺だという方向を示していた。
“電話だ、電話だ”俺は、そんなことを口にしながら、電話の着信履歴を確認した。
“033920*110”これが、最終着信番号だった。
新宿管内の警察だ……。
リダイヤルすることも考えたが、曖昧な立場の俺が、不用意にリダイヤルする行為は、墓穴を掘る結果を招きかねない気がした。
墓穴?
どうして、墓穴だと思うのか。そう、墓穴と云う考えが浮かぶということは、敦美の身に何かが起きたという前提があると云うことだった。
しかし、敦美の携帯に、警察から電話が来たということは、少なくとも拉致監禁などの事件に、敦美が巻き込まれたわけではない、そのことが、俺に冷静さをもたらした。
何らかの容疑で、敦美を身柄拘束する為に、警察が電話を鳴らしたと考えるのも変だった。
最も考え得ることは、警察が、何らかの事件で、敦美に連絡する必要が生まれたから、そう考えるのが自然だった。
敦美の関係者?当然、一番の関係者は、俺ではなく、彼女の亭主だった。
敦美を覚醒剤中毒者にさせようと試みていた旦那が、彼女の最大の関係者だった。
つまり、敦美の亭主が、犯罪の被害者か加害者になった、そのどちらかで、敦美に電話が入ったと考えるべきだった。いや、単なる交通事故とか、救急車を呼んだなどの可能性もあった。
敦美の携帯が残されていて、最後の着信が警察からだった事から、多くの想像が成り立ったが、だからといって、俺の打つ手は限られていた。
ひとつは、その警察署にダイアルして、携帯の持ち主である敦美に、何が起きたのか聞いてみると云う手だった。
この場合、俺自身が表面化する覚悟が必要だった。それこそ、“あなたは敦美さんの何なのよ?”と問い質されることを覚悟しなければならない。
いや、敦美さんと云う呼称は不適切で、***さんの携帯ですが、どのような要件だったのでしょうか、と聞かなければならないのだが、まだ俺は敦美の苗字を知らない状況だったのだ。
苗字を知らない男が、女の携帯を手にして、何か女の身に起きたのでしょうかと警察に聞くことは、ひどく間抜けに思えた。
携帯の住所録を確認すれば、敦美の苗字は、おそらく判るだろう。ホテルのフロントに確認する手もないわけではなかった。
しかし、俺のすべてのセンサーが、疑われるような行動には出るべきではない。敦美のアドレス帳を覗く行為も、礼儀として怪しい線だった。
不作為だが、このまま敦美からの連絡が来るのを待つという最も消極的な方法が賢明だった。
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